
本記事では「警察官を辞める人物の特徴」と「警察官の転職事情」について触れていきます。
・警察官を辞める人物の特徴
警察官を辞める人の特徴について解説します。
以下の項目に当てはまる人物は要注意です。
警察官として採用される前にじっくりと進路について考えましょう。
①正義感が強い人物
正義感が強い人物は警察官には適していません。
具体的に正義感とは「何」を指すのでしょうか。
それは、個人の「胸の内」に秘める感情です。
正義感の定義は人によって変化します。
前述では、正義感が強い人間は警察官には適していないと述べました。
しかし、個人が定義する正義感が警察にとって有益な特性であれば、その感情は肯定されます。
例えば、正義感の定義を「上司に服従すること」と位置付けているのであれば、警察官として重宝されるでしょう。
しかし、正義感の定義を「自己の良心に基づくもの」と位置付けているのであれば、その人物は警察組織とは馴染みません。
今回は、警察と適合しない正義感を持った人物について取り上げます。
このような、正義感が強い人間は警察官には適していません。
まず、正義感が生み出される過程には物事の「定義付け」が必須の要件となります。これは、「この限度を超えた行為は悪である」とする基準です。その自己が定めた基準を逸脱した対象を攻撃する機能が「正義感」の正体です。そして、この「正義感」は排他的でなければなりません。「正義感」の適用される基準が外的要素により変動するようであれば、それは「正義感」ではなく「適者生存」の本能的な原理です。

一言で説明すると「正義感」は普遍的な基準(他者の意見に左右されない)を持っていなければ成り立たない意味です。ですので「頑固」とも言い換えられます。そのため、「正義感」が強いとは「自己の基準を崩さない頑固な性格です」と公言しているのと同じようなものです。
さらに、基準を定めただけでは正義感を満たすことはできません。
正義感を満たすためにはトリガーとなる「行為」が必須です。
正義感が強い人物は、自己の感情を満たす過程において、その「行為」が妨げられる又は遂行できない事象を嫌います。そうなると、自己の正義感を満たせないのですから、仕事に対して不平不満を抱くようになります。

要するに、自己が正義感のために遂行したい「行為」と相手(警察組織)が求めている(してほしい)「行為」とが一致すれば良いのですが、難しいですよね。
何かしらの「行為」の遂行を「期待」して警察官になる人間は、現実とのギャップに直面します。自分が理想とする「行為」と、相手(警察組織)が求めている「行為」に乖離がが生じることで、発生する現象なのですが、そもそも、正義感とは自己の「行為」の「規範」を「具現化」しているものです。
自己の正義感を満たせなければ「不快になる」これを逆説的に捉えるのであれば、感情に伴う起伏に「べき思考(こうするべきである)」が内在しています。具現化された概念であるからこそ、自己の規範から外れた定義や行為に感情を示すのですから、固定された価値観である「べき思考」は正義感には欠かせません。
理想として掲げる正義感には「べき思考」が備わっています。
ですが、現実の「警察」が「あなた」の「べき思考」に応じるだけの機関であるはずがありません。
「べきである」と断定することで、自己が理想とした正義感(警察官像)と、警察官として求められる性質が不一致だった際のギャップは必ず生じます。
正義感とは何かしらの行為を期待して断定する性質を持ちます。ですから、与えられる行為に柔軟性を持たせて対応することができません。具現化されて自己の中で固定された価値観(基準)は、他者による介入の余地がないことから、綻びが生じます。
このようにして、正義感を強く持った人間は、相手(警察組織)から提供される「行為」に不満を抱き辞めていきます。
そもそも、警察とは正義の味方ではありません。単なる法執行機関です。
法律は正義ですか?
不道徳な法律、理不尽な法律、日本の法律を遵守させる警察、本当に正義感が強いのであれば警察官にはならないはずです。
②警察に対してリスペクトがない人物

警察官なんてショーモナイ仕事だ⁈
このような人物は警察官を辞めます。
警察官になる前から、警察官を見下している学生も同様です。
理由を説明します。
警察官は組織統率の手段として「権威」を用いています。
年功序列や階級社会、このような体制は、身分の優劣を具体的な権威によって維持しています。ですから、権威に懐疑的な人間は、警察組織では馴染めません。
宗教でも信仰心が重要なように、組織の構造を維持するためは権威が必須です。宗教は信仰心から始まります。組織も権威なくして成り立ちません。そのため、仕事に対してリスペクトがない人間は、権威構造たる警察組織では、評価されません。
警察官若しくはその職務に対して「負の感情」があるのですから、権威に向けた反感や疑問が生まれてしまいます。
警察官の仕事は誰にでもできます。
ですから、このような才能も知能も必要ない仕事では、個々の意見を排斥した年功序列体制が維持されるのです。
「誰にでもできる仕事」つまり「誰もが教わればできる仕事」故に年功者が権威となって部下を指導するのです。
誰もが教わればできる仕事なのですから、受動的な「教わること」が職務の根幹になります。
「教わる」を中心とした仕事では、指導者(上司)が権威として、部下を監督する体制が好ましいと言えます。
そのため、権威の失墜に繋がる感情は、自己や相手にとって益をもたらしません。
「上司に従わない」「素直ではない」「反抗的な態度」これらの根源は権威に従順ではないからです。結果として、権威を抱かせる条件たる「リスペクト」を失った人間は、職業不信に陥ります。
また、不信感から自身の仕事が「嫌い」になります。「嫌い」な仕事では「良好」な「パフォーマンス」を発揮できませんよね。
さらに、このような仕事では「気持ち」が重要となります。
警察官の仕事は「誰でも」できます。
しかし、前提として「仕事」とは「辛い」ものです。
「辛い」仕事を「継続的」に続けるためには「能力」と同じく「気持ち」も大切になります。
そのため(モチベーション)の「手段」として「疑問を抱かない(従順)」ことが求められるのです。
警察官を早期に辞職する人間の特徴としては「仕事に誇りを持てず」「権威主義に馴染むことができない」ことが挙げられます。
物事に疑問を持つことなく上司を権威であると迎合して仕事に熱意を持って取り組める人物こそが警察官として長続きします。
ですから、権威主義に染まることができない人物は警察官になるべきではありません。
③義務教育に疑問を持っている人物
警察官の採用試験に合格すると警察学校に入校することが認められます。
警察学校の名称にも「学校」が付いているように、警察学校とは義務教育の延長線に位置する場所です。「教場」と呼ばれる「教室」には「先生」すなわち「教官」が「生徒」である「巡査警官」を指導します。
そこでは、義務教育での「生徒」と「先生」の関係に瓜二つです。
警察学校に限らず警察学校を卒業した後も同じような関係が続きます。
「先生」から「先輩」や「上司」になるだけで、根本は変わらないのです。
そのため、義務教育又は学校制度に疑問を持つ又は馴染まない人間は、警察の社会で上手く振る舞うことは難しいでしょう。
学校制度では「みんな」と同じ価値観を享有します。
共通の価値観を有する環境では画一的な統率が可能になるのですから、自己の行動規範を他者に依存させます。
本来であれば行動又は思考の根拠(アイスクリームを食べる=私がアイスクリームを食べたいから)は自己に帰属するのですが、日本の教育では周囲(他者)との共通項を相互に享有(アイスクリームを食べる=みんながアイスクリームを食べている又はみんなの好物がアイスクリームだから)させることで人間社会(コミュニケーション)の形成を促進させてきました。
みんな「努力」してるから「努力」する。
冷静に考えてみると恐ろしいことです。
みんなが「する」ことを「しなければ」ならないとする風潮は、自己の思考や行動を他者に委ねている状態なのですから、動物には無い人間らしさを放棄していることになります。
人間は「社会的な動物」だと言われています。
しかし、社会性を保つためには自己の権利を共同体に譲渡する必要があるのですから、「自由の刑」に科せられている人間はごく一部なのではないのでしょうか。
「自分は自分」「他人は他人」このように考える自由人は、群れることを嫌います。
私は、学校の「みんな文化」に馴染めない内の一人でした。
「みんなしてるよ」「みんな困ってるよ」よく学校の先生に言われていました。
その度に理解に苦しみました。
「だから何だ」と。
どうして私の行動や思考が他者の気持ちに影響するのか、なぜ影響を伝播させようとするのか、自己の感情は自己の責任で管理されるべきです。個々の人間の行動や思考が他者の権利や名誉を侵害しない範囲において、人々の感情は独立し、自身の感傷も自己の責任で処理されるべきなのです。
しかし、社会性の構築に優れた人々は自己の感情も他者が負う責任として振る舞います。
このような、自己や他者の感情を一括にした「共同体」としての責任を無意識に享有(受け止め)し相互に処理(請け負う)することのできる人間は「みんな文化」の一翼を担えるでしょう。
その価値観(みんな文化)を扇動する権威たる先生又は先輩然り慣習に従順たる学生(人間)は警察学校でも問題なく職務に取り組めると思います。
④古い慣習に懐疑的な人物・無駄な行為が嫌いな人物
正義感と同じく古い慣習に疑問を抱くということは、その慣習や行為の「正当性や合理性の不備」に「気が付くことができて」なおかつ「負の感情」が生まれてしまうからです。
また「無駄」な行為にも過敏に反応するようになります。
「給料が同じなのになぜ人より努力する必要があるのか」このような感情も物事に「疑問」を抱かず「無駄」に「気が付かない」人物であれば意識したりはしません。
⑤大雑把な人物
大雑把な人物は警察官として働くことにストレスを感じるでしょう。
警察官の仕事は想像よりも書類作成がその業務の大部分を占めます。
その書類作成ですが「こんなことも気にするのか」という箇所まで細かい書類作成技能を要求されます。書類作成に限らず「身だしなみ」や「言動」までも「細かく」指導されるのです。

私が、この議題を持ち出すにあたりよく取り上げる例えがあります。
それは、イジメの構造です。
イジメられる人物の特徴は「普通」ではない人物がその行為の対象となることが多いです。そして、イジメを行う加害者は「他人の普通ではない箇所」を発見するプロです。
どんな些細のことでも「大多数」とは異なる箇所を見つけてそれを理由やネタとして被害者をイジメる材料にするのです。
「大雑把な人物」と表現しましたが語弊があります。
厳密には「大多数の人間が気にする箇所に無関心(大雑把)」という意味です。
私は、昔から外見に無関心でした。そのため、私服は数着程度しか持ち合わせがなく多少汚れたり破損しても気にすることなく着ていました。これに関して他人は大雑把と揶揄をしますが、私からすると細かい指摘です。では、私の性格は大雑把なのでしょうか。これまた違うようです。私の友人からはその都度「会話の些細な矛盾点を指摘してくるな」と説教されています。ですが、私の感覚からすると「会話の矛盾点」は「些細なこと」ではなく、相手が「大雑把」なように感じてしまうのです。
警察の仕事も同様です。
警察は「普通」の人間が採用される仕組みです。そのため、「普通(大多数)」の人間と感覚や価値観が異なる人物は、同僚や上司から理解されにくいことで苦労するでしょう。
細かい仕事に関しても「イジメを行う」ような人物の「普通の感性」が「書類作成や言動」における「些細な」不備を発見することに繋がるのかもしれません。
警察内部に友達を作りたがらない人物

これは私自身の経験です。
「類は友を呼ぶ」このような言葉があるように「組織」にも、その性格に合う「個人」が集まってきます。ですから、職場の関係を大事にできない人物はその組織で長く続けることは難しいと思います。
私の経験にはなりますが、どうしても職場の人間との会話が楽しめず、大学の友人や副業関係で知り合った人物との交流を優先していました。そうなると、自然とその友人らが属する業界に惹かれてしまうものです。
夜は寝たい人物
こればかりは体の問題ですのでどうしようもありません。
多くの警察官は「寝れない環境」に時間と共に「慣れる」のですが、なかにはどうしても睡魔に勝てず交番でウトウトしてしまう警察官も存在します。
地域警察官に限らず内勤であろうと「夜勤」はあることから「夜は寝てしまう体質」の人物は警察官として働くことは難しいでしょう。
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