就活 第四章[その他]就職活動で成功する学生の特徴とは さらに就職活動の知識を深めたい学生に向けた記事です

一般企業
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・私の気持ち

暇つぶしに書いた記事です。読む意味はありません。
自分は馬鹿であると思っていた。
高校までは。
何故なら、学校の友人と会話ができなかったからである。
私の話す内容を周囲の人々は理解できなかったし、周りの友人の会話も理解不能であった。
私の頭が悪いから会話が通じないんだ。
私の知能が劣るから友人との意思疎通が滞るのだろう。
「だから自分は馬鹿なんだ」と。
しかし、高校三年生の夏に疑問が生まれました。
「ひょっとしたら、周りが馬鹿なのでは?」
ですが、学校の先生も、友人も、誰しもがテストの点数で人間を評価していましたから、この疑問を心の奥に閉まっておきました。
このような疑問を抱えながら大学に入学。
大学は法学部です。
そこでは、なぜだか勉強ができました。
大学ですので勉強ではなく学問ですが。
教員に質問や反対意見を述べても怒られない環境、ましては、このような行為が評価される大学が好きでした。
高校までは、学校の先生に反論したら怒られました。
しかし、大学では反論に対する返答は理不尽な仕打ちではなく知性と理論によって歓迎されます。
ともかく、高校と大学の価値観の違いから、さらに疑問は深まります。
高校までは勉強をサボっていましたが大学での成績は無勉強で良好でした。そして、他の友人は、私が簡単と思える学問に苦戦していました。
高校と大学では、勉強が学問に変わります。
聞く事を主体とした勉強、探究する事を主体とした学問。これらの違いは、自らが考えるかどうかです。
そこで、私は考えました。
なぜ周りの友人は学問が苦手なのかと。
このような日々を過ごしていると、就職活動を意識する時期に入りました。
大学二年生の時です。
長らく抱いていた疑問は確信に変わりました。
「私が馬鹿なのではなく、友人達の知能が低いのだ」このように。
疑問を晴らしてくれた機会、それが就職活動です。

・低水準の就職活動対策講義

上記に記載した画像は、実際に大学の講義で使用されている資料です。
出典元を隠すために再編集したものですが、内容は変えていません。
大学での就職セミナーには、本当に驚かされました。
例に出した資料は、氷山の一角に過ぎませんが、このような内容の講義を平然と行っているのですから。
特に、驚かされた指導は、面接では黙りこんではならないというものでした。
面接官はあえて答えが出ないような質問を投げかけてくるが、その目的は自身が分からないような問いに直面した際の反応を見ているのだから、黙り込んだり、ごまかした回答を述べるとマイナスである。要点を整理すると、答えられない質問に対しては、黙り込むのではなく「分かりません」と回答する事が重要であり、さらに、分からない事象を踏まえた上で、今後どのように向き合っていくのかを説明するべきであると。
分からない質問は、分からないと言おう。概ねの内容です。
このような、小学生レベルの講義が大学で行われているのですから、呆れたくもなれます。
これらは、誰かから指導されなければ理解できないのでしょうか?
ともかく、日本の行く末が心配でなりません。
私のように、低水準の講義に疑問を抱いている学生が一定数存在したことも事実です。
しかし、全体の半分の学生が低水準な講義を熱心に受講していました。
普通に考えれば分かるはず、このような一般的な概念も「受け身」という立場から指導されなければ理解できないのです。
勉強が苦手、得意、これらに関係なく、人間のスペックが露見する行事が就職活動です。
そもそも、就職活動誰かから習うものだとする慣習そのものに、疑問を抱いていましたので、なおさら、大学での就職活動に関する講義は異様に感じられました。
私は不思議に感じています。
なぜ、こんなにも頭が悪い人々が大学生になれたのか。
それは、学校の成績(学力)に対する絶対的な信頼があるからです。
「勉強万能主義」とでも言うべきでしょうか。
現在でも、勉強が万能な存在であると過信する人々は多いようです。
勉強と「頭の良さ」は繋がるのだと信じている人々が代表的な事例ですね。
大学制度としては、受験する学生に優劣を付けなければ合否判定を付けられない事情から、認知能力である「学力」で序列を定める方針が選考方法として一般的と言えます。
まさに、大学制度や社会システムの問題点は「ここ」にあるのです。
突然ですが、宮口幸治さんが執筆した「ケーキの切れない非行少年たち」をご存知でしょうか。
なにかと話題になりましたよね。
非行少年は知能が低いことから「ケーキを三等分」できない、このような内容です。
少し端折り過ぎました (笑)
「ケーキの切れない非行少年たち」を読んだ感想として「まだマシなほうだ」と感じてしまったことが正直な意見です。
多くの非行少年は明らかに知能が低いのですが、それを測定することは「認知能力(数値化できる能力:偏差値や知能指数など)」から容易にできます。
「ケーキを三等分」できるか、できないか、その結果は顕著に表れますから「認知能力」の高低差に基づき非行少年の問題点は可視化します。
つまり、「認知能力」の低さから知能的な問題を発見できるのです。
しかし、このような原理から「認知能力」を過信する傾向が生まれました。
現在の社会では「認知能力」さえあれば知能的な欠点を疑わないとする風潮があります。
そのため、「勉強」しかできない「馬鹿」が野放しにされる弊害が発生するのです(詳細)
馬鹿でも学力などの「認知能力」は高いと、誰も知能的な欠陥は疑わないでしょう。
ですから、誰も助けません。
さらに、本人も己の欠点に気が付くことはありません。
なぜなら、周囲や自分も「認知能力」を評価されることで今まで生きてきたからです。
認知能力は測定が可能ですが、非認知能力(数値化できない能力は測定することが難しい)が著しく劣ることに対する外部からの発見は難しいと言えます。
認知能力に衰えが見られる人物への支援も重要ですが、他にも関心を持つべきスポットは存在するのです。

・答えがある就職活動

結局のところ、大学の講義でカバーできる範囲は、公務員などの採用試験であると思います。その他にも、決められた作業を熟せば利益となる職種
これらには、業務に答えがあるのですから、当然、採用についても、マニュアル通りの過程を得た学生を内定させます。
ですが、他の職種、業界を志望する際には、大学の就活講義や講座は意味を成しません。
もちろん、エントリーシートの記入方法や履歴書の書き方など、指導されることを前提としたものはあります。
しかし、面接やディベートなどを、一律に体系化して指導する方針には賛同できません。

・希望がある日本の未来

私は「就職活動では上手くいかないかな」と思っていました。

ですから(上記参照)就職活動では失敗することを覚悟していました。
しかし、蓋を開けてみたら、ビックリ仰天。
自慢できるほどの成果ではありませんが、内定を六団体から獲得できました。
内訳は公務員関連が二つ、飲食業が二つ、小売業が一つ、自動車販売が一つ。
有り難い事に、私のような人間でも評価されたのです。
「世の中捨てたもんではない」このように感じました。
ここでは、著者の自慢話を聞かせたいのではありません。
新卒採用制度の「在り方」が変化している現状を伝えることを目的としています。
特に、新卒採用では、能力的な観点は考慮されません。
ですから、無能(自己主張ができない)ほど評価される社会であると予想していたのですが、どうやら最近は、その傾向が変わってきているみたいです。
主体性、能動性、積極性、これらは多様性を目指す口実作りではなく、実際に採用側が求めている人材なのです。
根拠は、私が面接や集団討論で合格しているからです。
特に、集団討論では、他の学生を論破して楽しんでいましたが、選考を突破している事が多かったです。
面接では、面接官を言い負かしました。
しかし、内定を頂きました。
団体名の公言は控えますが、公務員ですらそうでしたので…。
これらの、個性や能力を持った人間が、建前だけではなく、本当に評価されはじめてきている日本に希望を感じた機会が就職活動です。
ですが、世の中が移り変わる「過渡期」には、それに対する反発も当然のことながら生まれます。
私のような「人物」が評価される社会とは、これとは相反する性質を持つ人物が享受するはずのリソース(雇用)を狭めることに繋がるからです。そのため、学力や偏差値などの価値を信頼してきた人々は、社会で求められる能力との解離から困惑するでしょう。
希望がある日本、されど華やかしい未来の裏には「犠牲」が隠されているのです。

・楽しかった就職活動

就職活動が楽しかった。
大学生活で、一番充実していた。
友人とのコミュニケーションで満足できない自分が辛い。
友人との会話で感受性が刺激されたことも少ないし、何よりつまらない。会話が短絡すぎで後先まで予測できてしまう。
このような経験を持ち出すと、自慢話であると叩かれるが、本心なのだから仕方がない。友人との関わりを通して得られる利益もないし、なにしろ面白さがない。友人との会話は味気ない。
大多数の人間が面白いと思える価値について共感できない感性が恨めしい。
このような境遇だからこそ、就職活動に魅力を感じていた。
就職活動では学生という身分だけで、様々な情報や知識に触れることができた。
知りたい事、見たい事、気になる事、これらを対価なしで得る機会が就職活動だ。
まさに、探検や冒険と言える。
よくよく考えてみると、就活生の特権は凄まじい。
企業や会社の社員、強いては役員と、対価を支払わずに関係を持てるのだ。
本来であれば、アポイントメントの必要や、賃金の支払いが生じるような人物と、無償で会話ができる。
数分で数十万単位の損益を生じさせるような人物ともだ。
学生の身分から、関われる人物。つまり、学生でなければ、その人物とは話すことすら許されない。
これらの経験は貴重である。
学生にしか与えられない権利だからだ。
就職活動の楽しさは他にもある。
それは、就職活動がゲーム性を帯びていることにある。
まるで、オープンワールドのゲームを自由に駆け回っている気分になった。
失敗したのであれば、対策を考える。どのようにしたら攻略できるのか、自由な思考から最適解を導き出す工程が、まさにゲームであった。しかも、学校の勉強とは異なって、完璧とされる答えがない。だから、答えに伴った過程たる思考も自由なのである。
このように、就職活動は楽しかった。
さらに、自分の新しい感情を発見することができた。
それは、選択肢があればあるで悩むということだ。
就職活動を通して生まれた感情である。
就職活動で初めて抱いた感情は、自己の感受性を大きく拡大させた。
負の感情であるが、自己の中で芽生えた新たな感情に喜びを覚えた。
世の中では、就職活動を苦役に捉える学生が多い。だが、就職活動とは学生だけが経験できる特権である。
楽しめとまでは言わない。しかし、貴重な経験をしている自覚を忘れないでほしい。

・自信があった就職活動

モチベーション、就職活動では「気持ち」が重要です。
自分を商品として売り込むのですから、華やかで自尊心に満ちた人材ほど採用されます。
これから説明する内容は、自尊心高める方法です。
私は、就職活動に自信がありました。
不合格になるはずがない」このように考えていましたから。
これには、理由があります。
例えば、倍率10倍とは、10人中1人が選ばれる確率を示します。
そこで、私は思いました。
採用会場を一蹴して「自分が一番の価値がある存在だ」と。
このように自負していました。
「知能的な観点で他の学生と比較すると劣るはずはない」と本気で思っていましたので、「こんなくだらない学生たちの序列で10人の中から選ばれないのはおかしい」という認識です。
他者との比較を通して優越感に浸りたいのではなく、自己のポテンシャルに値する評価を期待するのは当然です。
まあ、倍率と難易度の結びつきは薄いのですが…[倍率と難易度の詳細]
不採用通知が来た際には、私を落とした企業を哀れに思いました。
「私を雇わない事でその企業は損をしている、ざまあみろ」と。
この考え方は就職活動ではめちゃくちゃ重要です。
不採用に対して「自分を責める人物」または「相手を責める人物」これらの比較では圧倒的に「後者」の思考をする人物が就職活動では成功します。
就職活動に取り組む前提として「良い商品」を売り出そうとする姿勢が「相手を責める」思考に結びつくのですから。
「お買い得の商品」を購入しない「客」に対して「損している」と感じることは普通ですよね。
ここでは、著者の自慢話を単に聞かせたいわけではありません。
私の経験を通して、読者には自己啓発を促してほしいのです。

就職活動ではナルシストくらいが丁度いいのです。
自分は売り出す商品です。悪い品質を売り文句にしている商品は誰も購入しません。


自尊心を持つための条件として他者よりも優れている前提が必要です。
でなければ、自分を「良い商品」として市場に売りに出すことはできません。
他人よりも優れている「何か」を持っていることで、自信や自己肯定感に繋がります。
そもそも、他者と比べて才能や能力を持った人間は、最初から自己の存在に対して前向きであるため、このような記事を目にすることはないでしょう。
「何か」を持たない「あなた」が「どのようにして自信をつけられるのか」これが今回の課題です。
まずは妄想からはじめましょう。
感情なんて思い込みなのですから。
現状において、あなたが実際に「何かに」優れていなくとも大丈夫です。
自己肯定感は「自己」に依存した考え方です。
そこに「他者」との比較が介入する余地はないのですから。
ですから「妄想」なのです。
もしも〇〇ならば、私は一番」になれた。このように考えましょう。
未来に繋がる予測や、過去の分岐点、世界観、あらゆる事象を上書きして妄想してください。
極端な例を挙げます
私は異世界に転生できたら最強になれた。
このような非現実的な妄想でも構いません。とりあえず、自己に自信を持たせるために「〇〇ならば他者よりも優れていただろうシチュエーション」を思い浮かべましょう。
妄想した事象に付随する自尊心から、「〇〇については誰にも負けないぞ」自己暗示を掛けてください。この過程が終了したら「何も」持たない「あなた」でも「自信」だけは付いたはずです。
そもそも、自信とは抽象的な概念です。
過去の過ぎ去った経験から自尊心は構築されるため、妄言や妄想と類は同じです。
自尊心の拠り所となる経験が、自分と同じく他者から評価されているかどうかは別問題ですので、このような感情は所詮は自己の気持ち次第になります。
世の中には、どうでもいいようなくだらない成果から自己肯定感に溺れて、過大評価をする人間(思い込み)が存在します。
私のように(笑)
ですから、他者や外部からの評価自信全く関係がありません。
「何か」を「持つ」「持たない」は、外からの評価で具現化される側面があります。
しかし、感情は自己の内にしかありません。
故に、本質的に優秀であるか、優れているか、このような事実からしか自信が持てないとする思い込みはやめましょう。
自信とは、気持ちの持ちようでどうにでもなります

余談(自己肯定感)

自己肯定感。
それは優越感や劣等感が影響に左右します。
そもそも、自己肯定感とは「自身」を「尊重」する「感覚」です。
そのため、他者との「比較」ではなく「自己」との「対峙」であるべきです。
なのに、事実や自己の性質を持ち出して気持ちを高めようとする人々は外部の評価に依存します。
自己肯定感を高めるために「自分の優れている長所を見つけよう」とするのですから、本末転倒です。
他人との比較は自分を知る手段でしかありません。
事実を把握して行動に活かすべきです。
「劣っている」のであれば「改善」すれば良いのです。改善が見込めないのならば「優れている」何かを探しても良いのです。
「これらを理解する」ため、「行動に反映する」ために、このような「優劣」の存在には意義が生まれます。
事実の認識(優劣)は人間の行動や行為を決定するための材料です。
材料なのですから、そこに感情が介入する余地は無いはずです。
なのに、感情のために「優劣」を付けるのではストレスが溜まるだけです。
さらに、「優れている」や「劣っている」などの指標は外部的な評価に由来するのですから、普遍的な意味はありません。
ですから、これら「優劣」の「評価」に感情的な感心を抱くことは無意味です。
自己肯定感を高めるために「良い箇所」を探したとしても、それは他者から比較して発見して「評価」となります。
そこに普遍的な意味は無いのですから、さらなる「比較」(高次元に比較を昇華する)が「あなた」を揺さぶります。
自己肯定感を高めるためには他者が作り出す評価基準とは異なる土俵に立たなければなりません。
「相手がどう思うか」ではなく、「相手は自分をこのように思うべき(評価)」とする価値観が必要です。
自尊心や自信なども同様の捉え方をすべきでしょう。
他者との比較は疲れるだけです。
他者との比較には終わりがありません。
他者との比較は行動や行為を後押しする材料です。
自己肯定感に類する感情は自己本位から生まれます。
まずは「妄想」からはじめましょう。

・社会のシステムをしらない学生

ほとんどの学生が陥る症状です。
彼ら彼女らは、社会に出るはずが、社会について全く知らずに就職(就活)します。
日本は資本主義の国です。
つまり「お金」を稼ぐ事は「正しい」との前提があります。
しかし、高校までの教育は「バンドワゴン効果」によって成り立っています。
「みんなと同じ行動をすることが望ましい」される教育現場は、共産主義的な側面が含まれており、そこで育った学生は資本主義の社会に順応する事ができません。
小学校や中学校の給食を思い出してください。みんな同じメニューの給食ですよね。しかし、生徒によって給食のメニューに違いがあったらどうでしょう?
「変だな」と感じますよね。
ですが「社会」とはそういうところです。国産和牛を毎日食べる人もいれば格安弁当しか口に出来ない人もいます。
学校教育では「競争社会」で生き抜く術を教えません。「みんな」で「協調」していく術を習います。一人だけ「抜け駆け」はいけません。金持ちであっても「みんな」と同じ「給食」を食べます。ですので「金を稼ぐ事」に否定的です。また「協調」が求められている学校社会では「意見を述べること」が禁じられています。
「金」を稼ぐ手段として「新たな価値を創造」することが挙げられますが、思考を禁じられた学校教育を生き抜いた学生が社会人となってから思考を求められるという悪循環の根源が「学校教育」です。
ですから、学校教育に順応した学生は、就職活動の面接で、利益(金)を上げる旨の主張ではなく、社会貢献や道徳を説いた発言をするのです。その結果、企業や会社の人事から、業務と志望理由のミスマッチを指摘されて不採用となるのです。
企業や会社を慈善事業と勘違いしている無能な学生は「金を稼ぐ事」や「意見を述べる事」を「悪」だと無意識の中で処理しています。ですが、自らが「金を稼ぐ(稼ぎたい)」行為やモチベーションの裏には「企業や会社」の利益が潤うことを表し、強いては社会全体の幸福実現(貢献)に繋がる事実を理解しましょう。

・自分を安売りする学生

与えてもらう事を前提に生きてきた学生は、自らの価値を他人に委ねています。
自分を商品として売り込むはずの就職活動を、相手が購入する行為に及ぶまで期待するに過ぎない「受け身」の学生がほとんどです。
相手が「自分」に対して「何かしら」の「アクション」をするだろうと思い込んだ学生は、自らの権利さえも手放します。
ですから、他者が一方的に「与える」ものだとして就職活動に取り組んでいます。

「入社させてください。お願いします」

このような、学生は就職活動では上手くいきません。結局は、相手から与えてくれることに期待しています。
社会は相互援助によって成立しているのですから、主体は他者であり自己でもあります。

「入社してやるから感謝しろ」

このような気概から、就職活動に取り組んでいる学生は成功します。
企業や会社が自分に何を与えてくれるのかではなく、自分が会社や企業に何を与えられるか又は自分を活かしてくれるか、このように考えている学生は、必然的に相手の利益を考慮した発言をします。
自己が利益や価値を与える母体に相応しい存在か、企業や会社を吟味しているのですから、その分相手も提示された利益に答えようとします。
優れた商品を優れた消費者が購入する原理(就活市場)、根幹には、このような意識の違いが内在しています。

・優秀な学生の就職活動

※自己責任で読んでください。真似する事を推奨するものではありません。

内定がもらえる人の特徴とググッてください

どれどれ、検索結果として次のような特徴が挙げられています。

自己分析をしっかりしている
企業研究をしている
行動力がある

なるほど、そうなんだ。
「行動力がある」については納得です。
行動しなければ内定を獲得する確率が必然的に低下するので、行動力は大切ですよね。
しかし他はどうでしょう?
優秀な学生はこれらの努力をしているのか。

就職関連のサイトや資料では就職活動「お手本」が示してあるだけで、実際に優秀な学生どのようにして内定獲得しているかについての記述がほとんどありません。情報があったとしても決まりきったものばかり
何故か分かりますか?
優秀な人間の行動を「馬鹿」が真似しても失敗するからです。
私はこの原理を「ホリエモン効果」と勝手に命名しています。
ホリエモンこと実業家、堀江 貴文氏は自らの成功経験から「私の真似をすれば成功できるじゃん?」と考えています。
もちろん、彼が示した内容(経験)を瓜二つに辿れるのであれば成果を出せるのかもしれません。
しかし、それは彼の「経験」を「真似できたら」の条件が付随します。
そして、その行為を真似るためには彼と同等のスキルが必要です。
堀江 貴文氏は「子供には、スマホを渡しておけばいい」と発言していました。
子供は学校に行かずにスマホさえ渡しておけば、生きた方(金の稼ぎ方)を学習できる、これが概ねの内容です。
しかし、スマホを渡したところで「学習しない子供」や「学習しても一人では理解できない子供」「スマホを操作できない子供」など様々な問題点があります。
そもそも、現在の日本において「学校の勉強をすれば上流階級になれる」との前提(レール)があるにも関わらず、社会格差が生じていることから、どんな手法を用いても優劣(格差)は発生します(平等を実現しても優劣が発生してしまうのだから尚の事、自由や放任的な制度はさらに格差が生まれる)

彼は、一人で学習し、尚且つ習得するだけの頭脳と才能を持っています。
だから成功するのです。
前提として、優秀な人間の行動を真似るためには自身もその手本とする人物同等知能才能持ち合わせていなければ失敗します。
このような理由(参考にならない)から、優秀(例外的)学生の、就職活動についての文献少ないのです。

これらの前提を理解した上で「へ〜そうなんだ〜」くらいの気持ちで流し読みしてください。
優秀な学生はどうやって就職活動しているの?
答えは「なにもしていない」です。

周りの同級生から「何故おまえは内定が貰えるんだ?」
と聞かれます。
そして、どのような対策・練習をしてる?とも尋ねられます。
私はこの問いに対して
「?」
と毎回感じています。
対策?練習?

彼らはきっと、誰かから「聞く」ことを前提に就職活動、強いては社会活動(日々の生活)をしているのだと思います。
反対に私は、「自己完結」しています。
不確定な要素は自らで調べ、最適解をロジスティックに導きだす。
誰かに「聞く」よりも自らで思考した方が効率が良く、優れた成果を得られるからです。
そのため、誰からの指導も受けずに就職活動を成功させてきました。
ですので、根本的に思考や行動原理の土台が違うのです。
現に今、私の記事を読んで知識を得ようとしているあなたは「聞く」ことを頼りに就職活動をしています。
ところで、就活生の皆様が就職活動をする上で取り組んでいることはなんですか?
自己分析、企業分析、面接練習、ふむふむなるほど。
私は、ほとんど何もしませんでした。※真似しないでください。
何故なら、何もしなくとも内定がもらえるからです。
自己分析?
就職活動とは、入りたい企業が望む人物像を演じるだけです。自己を分析する必要性が感じられません。企業を選ぶ上では能力と性格のマッチングが重要です。これが所謂、職業適正です。しかし、文理問わず新卒採用している企業が学生に求めている「能力」は然程高くはありません。ですので、性格での相性、つまり私自身が楽しめるか、如何にして私を楽しませてくれるのか、これにつきます。
企業分析については「した方」が良いことは確かです。
私はとにかく努力が嫌いです。ですから、企業分析はしませんでした(しなくとも問題がなかった)
とゆうのも、文理問わずの新卒採用制度を導入している企業の多くは、学生にポテンシャルを見込んでいます。
新卒でも利益(働ける)となるので雇い入れているのです。利益を生み出す過程において、研修や教育を受けることで誰でも戦力となる、つまり特殊な技能や知識、才能を持ち合わせていなくとも就ける仕事、ということです。
このような企業では、事前段階において高度な知識や技能は必要なく、入社前からどのような企業なのか(求めている人材、仕事内容)を安易に予想する事が出来ます。
例えばスーパーマーケットに就職するとしましょう。
この場合、面接までに必要となる情報は①スーパーマーケットであること②規模(店舗数や従業員数)③企業の理念や方針以上の三点のみです。
①は主戦力となる事業を把握することで、業務内容などを推察できます。
(例えば)お弁当やお惣菜を中心に販売しているという事実から、調理、品出し、在庫管理、販売等の業務内容と予想できます。結果、商品管理に必要な厳格さや食品を扱うことから衛生的であることがアピールできれば良いと分かります。
②については、規模や従業員から企業の雰囲気や顧客のターゲット層を把握できます。また、求めている人材についても推察できます。規模が小さいスーパーであれば地域密着型の個々のお客様に応じたサービスを提供していると、規模が大きいのであれば全体のニーズや物流の簡略化に重点を置いているのだと導き出せます。また、規模の大きさから将来的にマネジメント業務に関わるか否かに違いが生じることで、求められている人材、協調性、主体性、リーダーシップなどの性格についても企業側のニーズを知ることができます。同じく、企業の強み、弱みも、大凡の概要から推察できるものであり、事前に企業分析をする必要性を感じられません。
③の企業理念や方針については、何を話すにせよ理念と繋げて会話する事が重要であり、覚えておく必要があります。理念を覚えているか否かで、企業分析をしているのかを判断し、学生を篩に掛けていることもあります。何度も申し上げていますが、新卒採用の面接では、事前に覚える知識や、分析する程の難解さはありません。だからこそ、推察では導き出せない唯一の知識「企業理念」だけは頭に入れていました。
ですから、私が就職活動でインプットすることは①から③の暗記のみです。
面接開始直前に数分、パンフレットやホームページを観覧して終わり、これが私の企業分析です。
面接練習、何故するのでしょうか?
私は疑問に思います面接とは練習するものなのかと。
面接を対策しなければならない考える人間、つまり対策しなければ合格できないような人間….
ところで

今何時ですか?

何て答えますか?

時間を答えますよね。
なぜ答えられたのですか?
「時計があったから」
いえいえ、何故あなたは時間を聞かれたら、現在の時刻を伝えれば良いと判断できたのですか?
それはきっと、相手が求めている答えが現在の時刻であると脳内で理解したからです。
時間を尋ねられたら現在の時刻を伝える。何故なら相手は時間が知りたいから。時刻という情報を求めているから。
面接も全く同じです。
相手が尋ねている内容に対して、どのような返答をすれば、求めている回答になるのか、考えるだけです。(求めている回答=求めている人材=内定)
面接は質問形式が多いです。質問する相手は何かしらを求めています。回答者は求められている答えを探し出して返答する、これが面接です。
時間を聞かれたら時刻を答える、難しくありませんよね。例外的(就職活動が得意)な学生は就職活動を「この程度」にしか捉えていません。
時間を尋ねられたから時間を答えた、そしたら内定が貰えた。これだけです。
優秀な学生にとって、就職活動とは「書く」「歩く」「話す」の単純作業です。
努力をしている実感もありません。
ただ「話に行く」だけの活動を就活と呼んでいます。

専門性が高い業界や職種を志望する際には事前の対策や研究も必要

・エピソードや経験を尋ねる企業はアホ

エピソードや経験、これらを尋ねて、努力できる人間なのかを判断していることは分かります。
しかし、過去のエピソードや経験を根拠として、これから就くであろう仕事でも同様のパフォーマンスを発揮できるか、別問題だと思いませんか? 
就活中、ずっと意味不明な質問だと思っていました。
過去の功績よりも、未来について尋ねた方が建設的じゃね、と感じるのは私だけですかね…。
要するに、そのような企業は、能力ではなく、性格を見ているのだと思います。
一般的な教育を受けてきた人間は、努力しますので、部活や勉強、このような普通の学生を見分ける手段として、過去のエピソードや経験を尋ねるのでしょう。
そして、努力や気持ちがあれば利益が生み出せる程度の仕事、でなければ過去について触れません。

・エントリーシートの疑問

学生時代の勉強を通して得たもの
このような問いがある。
非常に不愉快だ。
大学での学問を再び、勉強として評価しようとする社会の構図に憤りを感じる。
高校までは、テストの点数によって生徒の質を測っている。故に、勉強が指標であって目的でもある。
だから、勉強はそれ単体で評価される。
しかし、学問は目的ではない。手段である。それも、学問には答えがないのだから、評価とは無縁である。
学問の過程で生じる研究や探究、これら一連の思考は、単一的な評価を期待した行為ではない。
学問は、副産物的な効果によって価値を見出す。
だからこそ、学問に取り組んでいる過程において「ふと」した瞬間が、社会的に評価されるのだし、当初の意義とは異なった奇抜な応用が利益を与えることだってある。また、失敗や成功も蓄積されるからこそ、学問は成長し、後世に引き継がれる。
勉強は評価するための指標として用いられる。故に、目的が明白であって、勉強の過程となる努力こそに意義である。
しかし、学問は全く性質が異なる。
指標でもなければ価値や評価を予め期待するものではない。そして、学問に連なる研究や探究は、常に副産物的な事柄から評価される。学問は、研究や探究に費やす努力に意義はないし、評価を期待した目的でもない。
就職活動での、学問単体を目的として、その意義を見出そうとする愚かで浅はかな問いに、常に疑問を抱いている。

・私流のSPI攻略術

※真似する事を推奨する記事ではありません。
与えられた論題を、与えられた範囲のみで考える学生がほとんどです。
私は、SPIをはじめとした学力試験を以下のような手法攻略しました。
とある上場企業を受験した際のエピソードです。その某企業はテレビCMや新聞広告、雑誌など、メディアでの露出が頻繁にされる大手でした。そのため、学生からの人気も高く一次選考での「足切り」が悩まされました。
私は、SPIなどの学力試験大っ嫌いでしたので、合格の見込みは一才ありません。
しかし、結果は合格、強いては内定までもらえました。
まず、一次選考では、書類提出と学力試験が必須でした。
しかし、私は何の対策もしていません。
試験は、会場でインターネットを用いて受験するタイプです。(SPIではなかったような…)
出題された問題数的処理推理問題数50問問題形式五択制限時間30分です。

あなたはどのようにして解答しますか?

私は、考えました。
真面目に解くの無駄じゃね?と。
他の受験生は黙々と試験と向き合い解答しています。
よくよく考えてください。
50問を制限時間三十分で解くとしたら、1問にかけられる時間は一分にも満たないのです。
ですが、問題内容を見ると、明らかに一分以下で解けるような難易度ではありません。
1問あたり一分からニ分平均した人間でもこれくらいは時間を用する問題でした。
つまり、平均した解答率20点前後に落ち着きます。また、解答率ですので、正答率はさらに下がります。これらを考えると、試験のボーダーは15点前後と予想ができるはずです。
50問五択の問題では確率論で10点は確保できます。そのため、ボーダー15点の試験では、確率論として「運」がよければ10点(確率論)+5点(運)として、合格できます
このような単純な原理から、試験を開始30秒で、全問の選択値を「3」にして終了しました。
ちなみに、選択問題はバラバラに記号を選ぶのではなく答えを統一しましょう。ここで、不規則に他の五択を回答すると大抵の場合は間違います。確率論では、全て「3」を選ぶ正答率、不規則に回答する正答率は変わりません。しかし、実際には同じ選択肢を回答することで最低限の正答率は必ず担保されます。
このように、簡単な計算(確率論の考え方)で就職活動の学力試験ならば突破できます。
対策するに越した事はありませんが、時間が無い学生は自己責任で真似してみましょう。
私は、このような手法を用いて、四割の企業や会社の学力試験を突破してきました。
与えられた課題をどのようにして熟すか、ではなくて、与えられた課題をやらずにどう結果を出すか、このような考え方で就職活動を乗り切りました。

学力試験で時間制限のある選択問題は解けなくとも全問答えを選択しよう
合格する確率を高めるために多くの選考に挑戦しよう

・起業したがる若者

Fラン大学生あるあるです。
無能ほど、起業したがります。
もちろん、優秀な人間も起業しますが。
しかし、馬鹿は自己が満足する結果を残せない事から逃避します。
「今いる環境では成果が残せない」だから自己を評価してくれるであろう別の環境に移るのだと。
このような学生に現実を突きつけます
まず、就職活動如きに苦戦するような学生起業すべきではありません。
理由は以下の通りです。
就職活動では、学生が主体となって「考える」ことが求められます。詳細はこちらから
資本主義の社会では、自己の能動的な行動から利益を生み出し、その功績により他者から承認されます。
加えて、これらの行為の基礎となる思考(能動的)は就職活動で求められているスキルです。
つまり、就職活動で躓く学生は、このような思考能力欠如しているため、起業しても頓挫する可能性高くなります。
能力的な観点から就職活動で失敗してしまう学生は、起業を控えるべきです。
そもそも「起業する」つまり、「人の上に立つこと」と「就職して人に従うこと」、これらでは圧倒的に前者に能力が求められます。
人に従うだけならば、然程、能力は必要ありません。
ですが、起業とは人の上に立つことを意味します。
指示を与える側の人間に求められる能力が高まることは必至です。
もちろん、世の中には「人に従うこと」は苦手でも「人の上に立つこと」でパフォーマンを発揮することできる特異的な人物も存在するでしょう。
ですが、このような特異的な人物は起業に至るエビデンスを理解しています。
起業を現実逃避の手段と捉える若者とは異なり、自己の特異性を十分に把握しているからこそ、適性に応じた進路として起業を視野に入れるのです。「事業を立ち上げたら採算が取れた」「得意分野は起業でなければ活かせない」、だからとある方向を定めて起業するのだと。
特異的な人物は自身の特異性から「人の上に立つこと」を手段と捉えながら、その起業に至るエビデンスを内面的、表面的問わず内包しているものです。
あたかも、起業が「楽」なものとして捉えている学生が多すぎます。
起業が目的となっている学生は失敗します。
起業とは手段です。
起業して輝かしい功績を残した一部の成功者のみに感心を寄せて、全体を見渡すことができません。
そのため、起業を目的とするのです。
成功者が起業する上で経験した過程又は特異性に着目することなく、自己にとって都合の良い情報を解釈するに過ぎない頭が悪い学生は起業しないようにしましょう。

・将来は起業したい

どうしても起業したい。
だから、将来的に起業できることを前提として就職活動に取り組みたい。
起業又は経営者になりたい学生の諸君。
オススメの就職先があります。
フランチャイズ展開をする企業に就職しましょう。
理由は二つあります。
まずは、経営や企業のノウハウを働きながらにして習得できるからです。キャリアが上がるにつれて自身が扱う裁量権が広がります。マネージャーや店舗リーダー、エリア統括、このような業務から、自然と経営に関するノウハウが蓄積されますし、物流や物販、コンサル的な技能、これら様々な能力が培われます。
次に、リスクを軽減して経営又は企業できる仕組みがフランチャイズの強みです。
これは、企業や会社によって異なりますが、就職したフランチャイズ企業の店舗を、オーナーとして買収できる可能性があります。
社員として一定期間働いた後に、その企業のフランチャイズ店舗を自身が経営者として担う、このようなことも実現できます。
もちろん、フランチャイズビジネスですので、元いた企業や会社とは独立しています。
具体性を持たせるために例を挙げます。

株式会社ドミノ・ピザ ジャパン
株式会社ローソン

これらの企業は、社員が自ら独立して経営者として活躍しています。さらに、共に新卒採用をしています。
ですから、起業や経営者を目指す学生は、これらの企業を就職先として検討してみてはいかがでしょうか。

・ブラック企業の見極め術

ブラック企業に入りたい学生は少ないでしょう。
私が、企業や会社の選び方レクチャーします。
絶対に的中すると保証はできません。
企業や会社を選ぶ上で、参考程度に聞いてください。
ブラック企業を見抜くポイントは、説明会やセミナーでの会話の内容です。
ブラック企業は「感情論」「精神論」がとにかく大好きです。

やれば出来る
努力は必ず報われる
気合いだ

このような、学校教育で好まれるようなキャッチフレーズでブラック企業の経営は成り立っています。実に不合理です。
情論よりも合理性を重視した方が効率よく利益を生み出せるのに…
資本主義の社会で共産主義的な側面を持つ学校教育的な手法が馴染む訳がなく…

ともあれ、ブラック企業は合理的な判断ができません。
しかし、生き残っていくような企業とは、数値やデータから客観的に物事を考察しています。
合理的な視点から「出来る事は出来る」「出来ない事は出来ない」と言える企業が正常であると思います。
ですので「優良企業」の説明会では、具体的な「データ」「数値」に基づく講義内容が多いように感じます。また、企業の弱点やデメリット(改善点)などの「負の要素」を、予め学生に提示している企業は信用できると思います。
反対に、ブラック企業では、功績や強みが少ない故に説明会の内容が抽象的になってしまいます。
説明会の内容で「データ」や「数値」などの客観的な要素が出てこない、いや、出せないのです。ですから、具体的なビジョンや功績(データや数値)から離れた、抽象的な概念を持ち出してアピールしているのです。社風や雰囲気、社員のモチベーション、これらを中心として語られる説明会はブラック企業の確率が高いです。加えて「ビジョン」だけをひたすらに語る説明会にも注意が必要です。憶測に基づいただけの、エビデンスを持たないビジョンは単なる「願望」です。

①具体的(数値やデータ)な説明会か?
②負の要素を提示しているか?
③夢語りで終わっていないか?

これら三点を意識して説明会に参加しましょう。

以下は発展編 です。

優秀な学生必見
ある程度の知能を有する学生考えることは決まっています。
「馬鹿とは働きたくない」
ましては
「馬鹿の下にはつきたくない」
こんなところでしょうか。
そして馬鹿が多い企業「体育会系」と相場が決まっております。
ブラック企業やホワイト企業などのジャンルに関わりなく「馬鹿」「体育会系」は存在します。
会社自体はいいんだけど働いてるやつが馬鹿なんだよな〜
めちゃくちゃ気持ちが分かります。組織やシステム、仕事内容は問題ない(好き)んだけど、馬鹿が多い〜。イライラしますよね。
では、こんな「馬鹿」や「体育会系」が多い企業の見抜き方を伝授します。
①官僚主義が蔓延した組織
規模が大きい企業や会社は、その統率を保つためにトップダウン方式を採用している傾向があります。このような組織は「考える」よりも「命令に従う」ことが求められています。ですから「言われた作業を熟す」ことが得意な「体育会系」が多いです。
②規模(事業)が急激に拡大した組織
組織が急激に肥大化すると、もちろん人も増えます。採用の基準も下がるでしょう。そして、組織の拡大と共に下層部の人員が上位階級へと昇格します。未熟な下層階級の社員が上位職に栄転することで、自身の足りない能力を感情論で補おうとします。
③現場上がりが多い組織
体育会系の馬鹿が多い組織の特徴として現場上がりの社員が多い企業が挙げられます。
現場上がりの人間は「小さな王様」として振る舞われていたこともあって、他者の意見を尊重できません。「俺はこのやり方で成功したんだから、お前も俺の真似をしろ」このようなタイプの人間が多いです。
以上の系統を組む組織は警戒が必要です。

・ブラック企業に馴染む人間の特徴

ブラック企業就職しないこと一番です。
しかし、ブラック企業に就職してしまい、その環境に順応してしまう方がいます。
このような、ブラック企業で「洗脳」されてしまう人間の特徴は、学生時代(就活段階)から兆候が出ています。
要注意となる学生は「義務教育」に馴染むタイプ、そして「就職活動」で上手くいかないタイプの人間です。

①義務教育に馴染むタイプ

このタイプの学生は「真面目」です。そして「権威主義」に陥っています。さらに「同調圧力」に敏感です。
それもそのはず、幼少期から「親」や「先生」の「命令」を素直に聞いてきた彼ら彼女らは「疑う」ことをしません。ですので、自身を正当化するための「ロジック」がありません。意見やアイデアを生み出すための「思考」もできません。
他者基準で生きてきた「真面目君」にとっては、周りが絶対ですので、直ぐにブラック企業に適応します。「周りがサービス残業しているならばそれが普通なんだ」驚くべきことにこれ以上の思考を巡らせる事ができません。ですから、このような学生は注意が必要です。

② 就職活動で上手くいかないタイプ

こちらのタイプも注意が必要です。そもそも、義務教育に馴染むような頭が悪い学生は就職活動で上手くいかないわけですから、ジャンル分けする必要は無かったのかもしれませんが…。

就職活動で上手くいかない学生は、次第に「自分は価値がない」と思い込みます。
誰からも必要とされていないから内定がでない、このように捉えます。
私は、就職活動だけが人間の価値を左右するとは思えないのですが、どうやら彼ら彼女達はそう考えるようです。
そんな、就職活動で躓く学生は、自己肯定感が低いことから「自分なんか」「就職できるだけでも感謝」と思うのです。
ですから、このような心境で内定が出たのであれば「こんな私を拾って下さった会社は素晴らしい」と勝手に崇拝します。
就職した後も、この感情が消えることはなく、ブラック企業に順応していくのです。
ちなみに、私は、面接官が家に出向いて面接をしてくれない事が不思議でなりませんでした。私が時間や手間を取って面接受けてやるんだからお前らは俺を喜ばせろ、こんな気持ちでした。
要するに、もう少し「図々しく」てもいいと思います。資本主義の国なんですから「図々しく」「ずる賢く」このような人間が競走社会では生き残ります。高校までの学校教育では、いかに誠実に生きるかを説います。そこでは「嘘はダメだ」などの綺麗事を吹聴します。このような教育を素直に真に受けてきた「学生」が就職活動では失敗するのでしょう。それに飽き足らず、ブラック企業に就職した彼ら彼女達は「社畜」として生涯を無駄に浪費します。そうならないためにも、自己の性質を自覚して「疑う」術を身につけましょう。

・ゴマをする必要がある企業の見分け方

著者
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忖度が苦手な学生に必見

社会人になる前提として、ゴマすりはどこでもあります
ですから、比較的にゴマすりが必要となる職種のジャンルをお伝えします。
見極め方は簡単です。
その企業や会社、団体が生み出しているものについて着目してください。
利益となるもの、それが、客観的に評価できない又は数値化できないのであれば、上司へのゴマすりが必要となります。出世したいのであればですが…。
人間社会には階級があります。優れた人間は階級が上がります。では、優れているとの評価はどのようにして認知されるのでしょうか?
数値や功績、実績、これらの客観的な材料があれば、そこから評価されます。
生み出す利益が可視化できますので、実力さえあれば、上司におべっかせずとも役職が上がります。
例えば、営業などが代表的です。
契約できた本数が数値化されますよね。
反対に、客観的な材料から評価を下せない仕事では、ゴマすりが必須です。
例えば、警察官などが挙げられます。交通課などは例外ですが。
人間を評価する指標が無いのですから、必然的に上司の主観によって自身のキャリアがコントロールされます。
礼儀や挨拶だけが完璧な人間が評価される社会です。
学校教育も似たような性質を持っています。
整列の速さ、服装などの外見、右から左に熟す作業、これら形式的な事項で、揚げ足を取っては序列を付ける義務教育は愚の骨頂、しかし、学校教育のような制度と適合する人間には、慣れ親しんだ環境のように思えます。
このような社会では、元気がいい、挨拶できる、やる気があるなど、抽象的な概念によって評価が下されるのです。
さらに、これらは「体で覚える作業」が重要になります。
何故なら、形式的な事項(仕事)であっても、優劣が生じるからです。
整列についても、「遅い」「速い」又は「綺麗」や「歪」などの評価基準がありますし、挨拶や礼儀についても「一挙手一投足」の動作が指標になります。
ですから、良い評価を得るために「体で覚える作業」を半ば強要されるのです。
ゴマをする行為にも「慣習」という「名」の口実から、無意味に「時間」と「労力・努力(覚える)」を費やさなければいけません。
このような「職場」では「個々の能力」よりも「組織の機能」を維持することで「利益」を生み出している特色がありますので、統率のための「手段」であるのならば納得はできます。
「ゴマすり」の延長としての「体で覚える作業」そして「仕事」においても、これらによって利益が見込まれるのであれば、「正当性(合理性)」は担保されています。
ですから、逆説的に解釈するのであれば、「体で覚える作業(形式的な行為)」が重宝される社会(会社や企業)では、「ゴマすり」が横行していると言えます。
「体で覚える作業」では明確な規定(模範)が設けられている傾向がありますが、「ゴマすり」は「主観」によって、行為の評価が決定されます。
ここが「ゴマすり」が「厄介」たる所以です。
上司にとって「都合の良い」存在が評価の対象となるのですから。
「ゴマすり」は仕事のみならず必要となります。
職務に関連(プライベート)しない「ゴマすり」であっても、自身に尽くしてくれる部下(飲み会等)は、やる気がある素晴らしい人材であると無意識に判断してしまいます。ですから、出世するためには、職務内外関係なく「ゴマすり」が重要になるのです。

・ルックスについて  美男美女は就活有利?

美男美女就職活動有利となる傾向は、今や周知の事実です。
私の経験を踏まえて、男女別に考察していきます。
まずは男性です。
男性は、外見の優劣と就職活動における有利不利の関連性は低いように感じます。
あくまで私の見解です…。
しかし、内定を貰える男性には外見的特徴が二つあります。
一つは、体育会系のハキハキタイプ。
二つ目のタイプは、知的で理屈っぽいタイプ
言語変換が難しいので、頭に浮かんできたキャラクターを想像してください。
イメージはみんな同じだと思います…。
ですので、外見で大きな障害となるケースは少ないと思います。
女性の就職活動では、どうなのでしょうか。
残念ながら、美女は就職に有利です。
根拠は、内定者交流のイベントや座談会などです。
私も驚きました。
どの企業や会社でも、内定者イベント(内定者のみが内定承諾の間に参加できるイベント)では、美女が多かったです。
早期の内定者イベントでは圧倒的に美女の比率が高く、後期の内定者イベントほど女性の顔面偏差値は平均化されていきます。つまり、美女は有利で、ブス不利と言うことになります。
私は考えました。
何故、美女は優遇されるのかと。
そしたら、一つの共通点を見つけました。

美女は「よく笑う

そう、美女はよく笑うのです。
美女だから笑うのか、笑うから美女なのかは分かりません。
しかし、笑う事が条件であれば、ブスも笑えば幾分かは外見のハンデを補えます
では、どうしたら笑顔が似合う女性になれるのでしょうか?
この問いを解決するためには、美女は何故笑うのかを理解する必要があります。
美女は幼少期から、環境に甘やかされてきました。何もせずに周囲からチヤホヤされていたのです。ですので、外敵が存在しません。他人と接する際も「相手は私に対して好意的だろ」と、警戒心なしに関わりを持ちます。ですから、角が取れて可愛い(笑顔)のです。
また、SNSの発達によって、自撮りをする機会が増えました。美女はTwitterやInstagramに自分の写真を投稿します。そんな美女は、カメラを向けらた瞬間に、笑顔を作ることができます。そのため、如何なる時であっても「笑顔」で会話ができるのです。
美女がよく笑う(笑える)理由は前述の通りです。
就職活動に向けてブスが取り組む課題とは「笑顔」を作ることです。
これらから、ブスは自撮りをしましょう。
プリクラでも構いません。
外出して、自分の写真を撮ることで「笑顔」が上手くなります。 

・頭が悪い学生とのコミュニケーション

著者が実際に学生と会話した内容です。

就職活動では学力が優れているから問題がないと学生の指導を放任する教職員が存在します。
今回は、就職活動に苦戦(本人の自覚なし)するN君をサンプルとして紹介します。
著者が以前に出会った実存する人物です。
N君の特徴は、公務員志望で成績は普通、性格は素直、遅刻欠席なし、大学4年生、特に問題はないように思えます。
されど、公務員試験で不合格後に就職活動で困窮することになるのです。
そもそも、就職活動で志望先を一つに絞りリスクヘッジを考慮しない行為(詳細)から賢いとは言えません。
そんなN君と著者の6月上旬頃の会話を取り上げます。
以下の会話で、著者が接したN君の発言に着目して問題点を考えてみましょう。

著者
著者

就活どう?何社エントリーしたの?

0社

著者
著者

進学?それともフリーランスとして働くの?

正社員になりたいし平均以上の年収がいいな

著者
著者

それは、大卒としての給与を貰いたいってことかな?

うん

もう六月だよね?なんで一社もエントリーしないの?

自分に合うものがない、志望理由の書き方で悩む

ふむふむ…N君は就活生が平均何社エントリーしているか分かる?

5社くらい

就活生の平均は30社エントリーしてるんだよ  N君は何社くらいエントリーしたほうがいいとおもう?

20社くらい

なぜかな?

自分が入りたい会社を絞り込んでからエントリーしたい、たくさん受けたら散漫になる

平均して30社エントリーしてるということは、平均的なステータスがある学生が30社エントリーすることで、その学生は満足な結果が残せるということだよ、つまり君は他の学生よりも就活においては優秀であると?

あ、そっか たくさん受けないとその分不採用になっちゃうもんね

だよね、なら今からたくさんエントリーしようよ

うん…でも、まだ、じっくり考えたいな

えーと、もう六月だよ、現在の就活生の内定率は六割くらいなんだよね、逆に内定がない学生は四割くらいだよ、このデータから焦りとかないの?

???

内定が出た学生が六割、つまり、今後の採用選考はどうなっていくの?

コロナ禍とかの経済的な理由で減っていく

………うん…減ってくね
つまり、ここから考えられることは、内定率と採用応募枠は相関関係にあるんだよね
企業側の選考フローも中小を除くのであれば主要企業の6割くらいは採用や選考が終わった時期ということになるよ だから時間が経過する程に選択肢は狭くなるんだよ

なるほどね

自分にあった企業に巡り会うためにも早めにセミナー受けたりエントリーしようよ

やっぱり大卒としての待遇や将来性が見込める会社じゃないと
それに、いろいろな仕事にチャレンジ出来る機会(総合職に就きたい)も欲しいな

N君の発言から問題点を指摘します。

まず、六月の段階で本格的な就職活動に取り組めていないことから状況把握又は情報収集能力が著しく欠如しています
続いて、適性を気にするあまり実質的な行動を疎かにして、自身の選択の幅を減らすと言う矛盾に気づかない思考から客観性が乏しいと言えます(詳細)
さらに、の文脈から求められている答えが類推出来ない事から、言語理解能力に問題があると推察できます。著者はで学生の内定率が上がることで以降の選考に響くと警鐘を鳴らしたのですが、その返答に対してコロナ云々の社会情勢を持ち出しているのですから会話の脈絡が理解できていない証拠です。
と同じく自身の立場が理解できていないのでしょう。それに、自己のステータスを分析することなく高望みしている(詳細)のですから救いようがありません。自己の能力を客観的に分析出来るのであれば①②③の愚かしい行動や思考から総合職は厳しいと推察できますし、そもそも、これらを事前に把握していれば対処可能な故に④の発言を避難されることも無かったでしょう。

N君のその後

頭が悪い人物は、その行動まで理解に苦しみます。
就職活動に苦戦しているN君ですが、7月頃に内定が決まりました。
本人は嬉しそうです。
彼が最終的にエントリーした企業は計4つ、平均と比べて大幅に少ないことから嫌な予感はしました。
著者は、どこの企業から内定をもらったのかN君に尋ねました。
そしたら、某放送局の集金人を採用している企業(企業名は控えます)から内定されたそうです。
本人曰く、営業職だから大卒にしかできない仕事だと誇らしげにしていました。(その以前はタクシードライバーの勧誘を受けて悩んでいました)もしかしたら法人を対象とした営業若しくは社内方針や管理を担当する職場なのかも、このように著者は考えて企業名を検索してみたところ、個々の家庭を訪問して金銭を徴収するお馴染みの集金人でした。
著者は集金人を馬鹿にしているのではありません。このような仕事がなければ公共放送の維持ができないのですから重要な役割だと言えます。
しかし、問題はこれらの業務内容を「大卒にしかできない」又は「いろいろ挑戦できる」と誤解しているN君の知能です。
通常の知能があれば疑問に思うはずです。
その企業をエントリーする段階で自身の目標との解離性、少ないエントリー数で内定を取得できる故の企業への不信感(自己が内定されることへの疑問感)、特に後者は重要です。
N君のような非常に頭が悪い人物を採用する企業には、それだけの思惑があります。
知能が低い人物は思考を他人(権威)に委ねますから、長期間に渡りルーチンワークを酷使させる兵隊に適しています(詳細)。
ですから、総合職などの「いろいろ」とはかけ離れた仕事であることに採用された瞬間に気が付くべきです。
「いろいろ」したいならば、その領域に比例して採用の難易度や求められる能力が向上する事実を知らないのであれば、残念ながら「いろいろ」(総合職)できる仕事には就けないでしょう。(ちなみに、著者は、就職活動で内定する度に「私を合格させる企業は異常じゃないか」と疑問を抱いていました[詳細])
これほどまでに頭が悪いと、自分が思うように事実を改変したり、第三者に言い包められる危険性などを孕みます。
その結果がN君と言えるのではないのでしょうか。

現在のN君

これには、続きがあります。
周囲の人々に指摘されたN君は、集金人の内定を辞退しました。
そこで、合同企業説明会に改めて足を運ぶのですが、自身では質問や会話は愚か企業のブースにも入らずに外から眺めるだけ。そして、言い放ったセリフが「向いてないかな」と。何を判断材料にしたのか不明ですが、彼にはきっと精神を読み取る超能力があるのでしょう。
現在では、当初の目標である公務員(上級市役所)試験に向けた勉強に取り組んでいるそうです。(公務員の種別難易度)
そして、N君は公務員を目指す理由は「いろいろ」できるからと考えています。
著者はN君に質問しました。
市役所で具体的に何をしたいのかと。
「条例を制定したい」
だそうです。
ですから、現在も市役所の職員となり条例を制定することを目標にして公務員の勉強に励んでいるのです。
本当に恐ろしいです。

・学生の珍行動集 

ネタを随時募集してます。

コメント欄にお願いします。
①内定承諾書の提出期間が間に合わないから、別の選考中の企業を辞退する馬鹿

・仕事に対する考え方の相違

暇つぶしに書いた記事です。読む意味はありません。
私は、大学時代に就職活動で「おめでとう」と言われた。
学校の先生、両親、友達からだ。
しかし、その言葉が示す意味に疑問を抱いている。
内定が貰えたことに対する称讃である旨は理解している。
問題はそこではない。
おめでとうとは、祝福の言葉だ。
されど、自己の感情が昂ることがなかった。
だから、言葉の意味が理解できない。
もちろん、善意に基づく好意的な発言故に気分が悪いものではなかった。
単純に理解ができないのである。
感情とは「器官」や感覚に近い。
消化器官が備わっていない生物に食事や排泄の概念は理解できないし、「甘い」を受容する味覚がない人間にアイスクリームの美味しさを解いたとしても冷たいだけである。
後天的な感情も同様である。
いじめられっ子の気持ちはいじめられっ子のみでしか共有できない。
先天的な感情、経験に伴う感情、どちらも「器官」を持たない者に介入の余地はない。
とりあえず、一つだけ分かったことがある。
就職活動での「おめでとう」の意味、これには発言者が幸福に感じる故の言葉であると。
自己の後天的な感情、すなわち経験による気持ちから「おめでとう」と言葉にしているのだ。
極論として「私が嬉しいと感じる事柄」は「あなたも嬉しいであろう」とする考え方だ。
自分がされて嬉しい行動を他者にしなさいと教育されるが、感情とは切磋万別である。
実の所「何が」嬉しい対象であるかは本人にしか分からない。
私は、おめでとうに含まれる言葉の意味、そして「内定が喜ばしい事象」であるとする感情に疑問がある。
それは「何が」喜ばしい要因であるかの問題提起だ。
夢であった職業に就ける喜び、安定を保障された喜び、人によって忽ちであろう。
個々の人間の「喜び」を構成している要因(理由)は理解できる故に、そこに生じる感情のみを共有できない私に憤りを感じる。

気づいた要点とは「おめでとう」の言葉が示す通り、多くの学生が「内定」という結果に幸福感を抱いている事だ。
そして、そこには共通の「器官」を持たない「私」が存在する。
私は、就職活動での成果に幸福感を感じない理由を探った。
まず、おめでとうの言葉を受け取るに値する資格として、結果に伴うプロセスに「努力」が含まれていない事実に気が付いた。
本来、おめでとうとは一連の過程を得た上での結果として、達成感の共有を確立するために掛けられるべき言葉なのである。
努力、すなわち、本意ではない行動(辛さ・苦しさ)の見返りとして得た結果に満足感や達成感が生じるのだから、私が受け取るおめでとうの意義が薄れてしまうことにも納得がいく。
例えば、好きなゲームで一日中遊んでいたとしても、肯定的な言葉は掛けられないだろう。
それは、自己が無対価に取り組める作業であるから、成果や結果を残して外部から評価されたとしても「おめでとう」や「頑張ったね」などの言葉は微塵たりとも響かない。
好きだから、楽しいから、何もしていないのに、これらから結果に繋がっても感情は自己完結するのみで、他者の肯定的な発言から感情を刺激されることはない。
私が「おめでとう」を、問題提起の根底とする理由がもう一つある。
このように「おめでとう」との言葉が横行しているのだから、一般認識として「内定や就職」に対する考え方が「ポジティブ」であるとする価値観だ。
つまり、働くことが「美徳」であるとする「考え方」への疑問である。
誰かの下で尽くす事や、誰かに雇われる事、働ける事は、有り難い事であって、感謝しなければならいとする価値観。
仕事とは「苦役」だ。
労働の対価に金銭を得るのだから「仕事」は「苦役」である。
もしも、仕事せずとも金銭が得られるのならば、迷わず無職として一生引き篭もるだろう。
仕事をするかしないか、自由に選択できたのであれば後者を選ぶ。
故に、仕事の前提とは「やりたくない」を、気持ちの土台にして成り立っている。
ほとんどの人間は、そうであろう。
しかし、人々は毎日汗水を流して働く。一重に金銭を得たいからだ。
だからこそ、仕事は義務であるからして「苦役」なのだ。
さらに、仕事とは義務を履行する手段である。
「やりたくない」仕事を如何にして負担を軽減するか、これが職業選択だ。
希望する仕事や好きな仕事、得意な仕事、所詮これらは「やりたくない」を内包している。何故なら、自由選択であれば「仕事はしない」のだから。
しかし、学生は就職活動で「仕事が決まった」「決まらない」で一喜一憂する。
不思議だ。
仕事とは「何か(金銭等)」を達成するための手段だ。
仕事が決まらなければ義務の履行はできない。そのため、目的である「何か」を達成する上での障害を懸念して落ち込むことには共感できる。
だが、反対はどうだろうか。
内定があることに対する気持ち、学生はみんな幸福そうだ。
就職に紐付けらる「内定」とは、これから四十年、奴隷のように酷使されるための「契約」である。
酷使された対価として金銭を得るのだから、仕事そのものは「やりたくない」行為であるはずだ。
しかし、学生は望んで「悪魔の契約」を結ぶ。
本来は「やりたくない」行為なのに、それに伴った「内定」に「喜び」や「幸福感」を抱いている現象が摩訶不思議だ。
「感情を抱いている」と言うよりは、そのように「思わされている」こちらの表現が適切だろう。
だから「正社員」になるための「就職活動」で、「勉強」や「対策」を持ち出すのだ。
学校での経験を思い出してほしい。
「勉強」という「行為」の成果物として「成績」又は「賞賛」を受けたはずだ。
学校での成績が良ければ両親に褒められる。
テストで高得点を取るとゲーム時間が増える。
素行が良ければお小遣いが貰える。
これらは「嫌な行為」の代償として「見返り」を得る権利だ。
そのため「嫌なこと」の「次」には「良いこと」がなければおかしい。
就職活動はどうだろうか。
前述したように「労働」とは「嫌なこと」である。
もちろん、労働に対する賃金は保障されているから一律に非難できる行為ではない。
されど、「賃金」が発生しようが「仕事」の根幹は「嫌なこと」であって、相対的に鑑みても「賃金(良いこと)」が「労働」を上回ることは稀である。
「嫌なこと(働く)」をするために「嫌なこと(勉強)」をする「矛盾」、これが「就職活動」である。
義務教育でも、勉強しなければ「良い仕事」に就けないと口を酸っぱく言われてきたはずだ。あたかも、勉強の先にある仕事が「報酬」であるかのように。
人間が秘めているであろう心情(働きたくない)を覆い隠すために「夢や希望」が与えられるのならば「将来」に期待して「努力」する行為は、その「口実」を得る(夢や希望の建前から自分は仕事がしたいのだと暗示や錯覚する)ことに過ぎない。
著者は、教育の目的が人々の仕事に対する意識を昇格させ、経済活動を活発化させることにあるのではないかと考えている。
そのため、学生は「勉強」や「対策」といった「努力」(義務教育や就職活動)の先には「良いこと」が待っていると信じているのだ。
人生で刷り込まれた価値観は奥深くに根付く。
ニーチェ曰わく、人間は「服従がもっともよく久しく行われ訓練されていた」そうだ。
服従する喜びが遺伝子にまで浸透しているのであれば、その過程たる「努力」は「代償」の有無に関わらず「肯定(良い行為であると)」される。
ここでは、仕事に対する価値観が「後天的(教育)」又は「先天的(遺伝)」どちらの作用によって成り立つのかを言及はしない。
だが「結果」として「学生」は「就職活動」を「等価交換(嫌なことを凌ぐと良いことがある)」だと認識しているのだから、雇われて「仕事」をする「行為」が「美徳」として受容される原理には納得ができる。
そのため「おめでとう」に対して「喜び」や「幸福感」を受容する「器官」が生まれるのだ。
例を挙げよう。
貴方が刑務所にはいるとして「A刑務所に行きたい」「B刑務所に服役できて嬉しい」とはならないと思う。
何故なら、刑務所には入所しないことが一番だからだ。
仕事も同じだ。
これから「苦役」に課されるというのに、多くの学生は、そのことに幸福感を得ている。
「内定」に対する「おめでとう」それは「仕事(苦役)に就けて嬉しいだろう」とする価値観に基づく発言だ。
「仕事が美徳であって、働けるだけでも感謝しなければならない」又は「苦役等の嫌な行為が称賛の対象となる」これらの価値観は一体どこから生まれるのだろうか。

・知能的な差

暇つぶしに書いた記事です。読む意味はありません。
不思議な事があります。
同じ人間なのに、どうして知能的な優劣が生じてしまうのでしょうか。
義務教育や高等教育の課程を得ても馬鹿は存在します。
しかし、これらの努力や労力を費やすことなく、彼らを凌ぐ知能を生得的に備えている人間もいます。
とても、不思議です。
私は、自身がめちゃくちゃ頭が良い存在だとは思いません。
そもそも、頭の良さとは普遍的に定義されるものではないため、状況や場所、言葉を使用する人間によって、その意味が構成している用途が異なります。
ですが、日常生活や社会生活問わず、合理性を欠いた行動をする人間が存在します。
これらが「賢い」「賢くない(馬鹿)」の普遍的な定義であるとは言えませんが、少なからず「知能」が起因している事は明らかでしょう。
例えば、私が記述した就職活動の関連記事である約5万時程度のロジックは、誰かから習得した知識ではありません。
これら、ブログの内容は生得的に頭脳にストックされていました。
就職活動に関連するロジックだけではありません。様々なジャンルについても同様です。
ですが、知能が劣る人間には、このようなロジックが備わっていないのです。
なにも、私だけが特別なのではありません
とある分野に関して「5万字程度」のロジックを生得的に有している人間は多く存在しています。そのロジックを表に出すかどうか。これだけの違いです。私は記事を書くのが好きですので、ロジックを表に出しています。
そして、このようなロジックを持った人間は、自身のステータスを特別視しません。何故なら、生まれつき知能が高いからです。ですから、他者が羨むロジックであったとしても「当たり前」として感じています。
これらのロジックを「当たり前」とする人間と「羨む」人間、双方には知能的な差があります。
私は不思議でなりません。
生まれつき「数万字」のロジックを持った人間と、それが欠けている人間。なぜ、違いが発生してしまうのか。
経験によって培われる能力であれば説明ができます。しかし、経験や努力とは全くの別物です。
私は、このような研究を将来、取り組みたいと考えています。
記事をご覧になっている皆さま、オススメの文献や書籍があったらご教示お願いします。

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