就活 第三章[就職活動に失敗する要因] 軸決めの落とし穴 勉強が得意な学生 誰も触れないタブーを明かします

一般企業

・はじめに 「無知の知」

記事をご覧になられている就活生の皆様、まずは心中お察しします。 
インターネットの片隅…この最果ての記事を見つけ出したあなたの労力から、現状に対する焦りが汲み取れます。

藁にも縋る思い

今のあなたにしっくりとくる言葉です。
しかし、縋る藁が用意されているだけマシと言えるでしょう。
藁は情報、縋るのはあなた、藁があるにも関わらず縋る意思さえ放棄した人間とは異なって、救いようがあります。
ここまで記事を読んで頂いたお礼に、就活生であるそんなあなたにプレゼント用意しました。
それは、長所の内容です。内定が貰えない学生の大多数が、自身の長所やアピールポイントが定まらずにいます。
私がプレゼントする長所とは「分析力」「入念さ」です。
私の記事に出会えた経緯から、あなたは幅広く情報を集める作業に長けています。そうでもなければこの記事を読んではいないでしょう。長所にも短所にもなり得る性質ではありますが、次から活用してみては如何でしょうか。
さて、本題に入ります。
あなたが就職活動で結果を残せない根本的な原因を理解していますか?
答えは極めて単純です。
それはあなたが「馬鹿」だからです。
残念ながら優秀な学生は本記事に出会う事なく就活を終えています。
稀に、天才や優秀過ぎる為に他者から評価されない人間もいます。
「天才故に性格が異質である」よくある話ですね。ですが、あなたは優秀でも天才でもないので安心してください。
天才が馬鹿になることは出来ません。
つまり、凡人である我々が彼らに啓蒙するだけの知恵や知能を有していないため、天才に介入することができないのです。しかし、馬鹿に対して知恵ある者が適切な啓蒙を施せば彼らは成長できます。ですから、安心してください。
夏に入ったのに「内定」が1社も出ない‼︎
何故か?
根本の理由は頭が悪いからです。
しかし、馬鹿と自覚できる人間は「賢く」なれます。根本と向き合い、内定という目標を達成するためには「自覚」が必要です。

・馬鹿とは

馬鹿とは何でしょうか?
どうしたら馬鹿と定義されるのでしょうか?
とても抽象的な言葉です。
馬鹿を定義するためには「賢い」を理解する必要があります。
何故なら、賢いの定義を逸脱した領域を馬鹿と位置付ける事ができるからです。
では、賢いとは?
勉強ができること?知能指数が高いこと?コミュニケーションが上手いこと?算数が得意なこと?国語が得意なこと?
このように定まった意味を有しないのが特徴です。
これは、外部評価に由来する言葉だからだと言えます。
つまり、普遍的な意味を持ち合わせていないのです。
固有名詞や普通名詞の多くは、言葉に普遍性が備わっています。
例えば、固有名詞である「日本」は誰がどのように解釈しても、太平洋に浮かぶ島国を示します。これが、アメリカや中国の地位的座標を示すことはありません。また、普通名詞が指す「りんご」はりんご以外の何者でもありません。
しかし、外部の評価によって意味を変異させる言葉が「賢い」や「馬鹿」です。このような、人間の評価や価値観に基づく言葉は非常に曖昧な意味を持ちます。
優秀、天才、可愛い、イケメン、ブサイク、これらも同様です。

固有名詞や普通名詞も変異するよね?

「コップ」を例えに挙げましょう。
「コップ」は「コップ」ですよね。
「スプーン」を「コップ」だとは言えません。
「コップ」は「コップ」としての認識を逸脱することは不可能です。
「コップ」の状態が変化したと仮定します。
割れたり、壊された「コップ」は、「割れたコップ」「壊れたコップ」として認識されます。ですから、「コップ」は独立した意味として普遍性が守られているのです。
しかし、評価や価値観に由来した言葉には普遍的な意味はありません。
そもそも、人間の評価に連なる言葉が普遍性を有しない理由としては、他者の存在を前提として成り立つ経緯にあります。
地球上にあなたしか人間が存在しなかったとしましょう。
そしたら、どうでしょうか?
きっとあなたは自分がどのような外見でどのような人間なのか…このような思考すらも生まれないでしょう
人間の評価とは、比較対象存在した際にはじめて、他者との違いから自らアイデンティティーを見出せるのです。

ですので、自分を除いた他者又は環境に言葉の意味を委ねている「賢い」や「馬鹿」の定義は難関だと言えます。
結局のところ馬鹿とは何かについて言及することはできません。
そのため、私が便宜上「馬鹿」を定義させてもらいます。ご了承下さい…
就職活動において「馬鹿」とは、内定を一人で取得することが難しい学生、このように定義します。就職活動で優秀な学生は、自らの判断や行動で内定を勝ち取っていきます。書類選考や面接、面談やグループディスカッション、それぞれの分野において最適解を自らで予想し、それを実行する。また、実行に至るまでの過程や成功に繋げるプロセスを難なくこなします。
しかし、就職活動で困惑する学生は、優秀な学生が無意識下で行なっている目的に伴う、計画(プロセス)や実行、最適解の抽出、これらのアクションができません。
このようなアプリケーションが備わっていない学生は技術をインストール、つまりは、適切なアドバイスや指導を受ける必要があるのです。

まとめ

馬鹿の定義は困難です。本記事では就職活動に失敗するような人物を馬鹿と仮定します。一括りの言葉として説明できるので記事を書く上で便利なのです。

・就職活動で失敗する学生とは?

どのような学生が就職活動で失敗するのでしょうか?
答えは簡単です「馬鹿」です。
予想通りの表現だったかと思います。
具体的にはどのようなタイプの馬鹿が就職活動で失敗するのか?

今まで見てきた就職活動で躓く学生の多くは、二つの分類「馬鹿」が大多数を締めていました。

二つの類型】
①勉強は出来るが就職活動では上手くいかないタイプ「真面目君」
②勉強が出来ず就職活動も上手くいかないタイプ「馬鹿」

まずは、就職活動で結果を残せる学生から見ていきましょう。
はじめは、勉強ができる「優秀」なタイプ。
説明は不用ですね。
次は、学校での成績は不良だが就職活動では上手くいく「ずる賢い」タイプ。
このような学生は一定数存在します。※大切なので読んでください

私の経験から例を挙げます。

A君は大学の講義にはほとんど参加していません。
単位取得に必要な出席回数以外は大学をサボっています。性格も非行ぎみ…。
そんな彼に、就職活動全盛期である四年生の春に私は質問しました。
就職活動は順調かと?その問いに彼は「内定あるわ(笑)」と即答。どこと尋ねると「不動産」。企業名を聞くとある程度の大手、すごいじゃんと返答した私は不動産の話題として「就職した後に資格取得とか大変だよね」とたわいも無い会話をしました。
そこで彼は「あ〜宅建ね※俺もってるわ(笑)」と。※宅地建物取引士
驚きました。
それと同時に尊敬すらしました。
大学での生活を大卒資格取得のためだけの過程と見做すのであれば、非常に効率が良い生き方です。
必要最低限の努力量に留めて成果(大卒資格)を獲得する。
加えて、ペーパーテスト(大学の成績)には反映されないが、裏ではきっちりと将来に向けての自己投資(能力や資格的な自己鍛錬)を行う。ずる賢いとはまさにこのこと。
しかし、生きていく上では極めて優秀なやり方です。
高校までの教育では、いかに真摯に、謙虚に、素直に、正直に、生きていくかを習います。これが絶対的な価値だと。
ですが、枠に囚われた人間は、社会では成功しません。
学校で価値とされていた概念は社会では通用しないのです。

①勉強は出来るが就職活動では上手くいかないタイプ(真面目気質)

この分類について、前述の脈絡から理解できたかと思います。
つまり、真面目な人間は、義務教育期間中の価値観や環境に自らの人格の重点を置いています。勉強ができる人間、高校までのペーパーテストが得意な人間は、疑うことをしません。
「先生の言うことが正しい」「先輩の指示だから従う」高校までの教育は、こんな権威主義が蔓延る異質な環境です。されど、多くの人間は疑問すら持たずに卒業します。
ですので、自らで思考しない、そして「言われた事」しかできなくなるのです。加えて、高校までの勉強には「答え」があります。毎回行われるテストには点数と回答がありましたよね。
単純な勉強だけで評価されるフィールドに疑問すら持たずに生きてきた彼らには、就職活動は難しいでしょう。
「答え」がある勉強に順応した真面目な人間は、当然として「答え」がない就職活動、「答え」がない社会では上手くいきません。
さらに、「答え」がある義務教育の課題や問題(勉強)をこなしてきた優等生は「努力」や「我慢」が大好きです。「答え」があるのですから、「努力量」は「成果」に比例します。
ですから、無駄な行為や行動、非効率、非合理的な「手段」に対しても「疑問」を持たずに「努力」と「我慢」で「結果」を信じて問題解決に励むのです。
しかし、社会の仕組みでは「無駄な行為や行動」「非効率、非合理的」な要素を発見して取り除くことで「利益」が生じます。
義務教育で刷り込まれる価値観や習慣、経済活動で求められる思考や原理は相反する性質です。
就職活動では「努力」が必ずしも「結果」に反映される保障はありません。
そこで、努力しているにも関わらず内定を取得出来ないと嘆いている学生は、義務教育の原則(価値観や習慣)を就職活動に用いている可能性があります。
余談として、最も危険なタイプは、高校までの勉強が得意で、大学以降の学問が苦手な学生は要注意です。

②勉強が出来ず就職活動も上手くいかないタイプの学生について

この部類の学生は、基礎能力値が極めて低いです。故に、言われた事すらできないことがあります。
また、馬鹿であるが真面目気質に陥る学生も多くいます。馬鹿故に思考が回らず行動規範を外部からの刺激に委ねた結果、何をすればいいか分からない、面接での喋り方が分からない、このような現象に陥ります。そもそも、真面目気質を脱却できた馬鹿は「ずる賢い」領域に属するので、馬鹿=真面目の公式は成立すると言っても過言ではないでしょう。
何故、こんなにも同じ人間同士で能力差が生まれてしまうのでしょうか。同じ勉強をやらないタイプの学生でも、就職活動においては優劣に差異が生じています。前提条件に違いがないことから、生まれ持ったステータス、すなわち遺伝が関係していることは明白ですが、皆様はどう思いますか?
さて、このタイプの学生が属するコミュニティの中には「ずる賢い」学生が一定数の潜んでいます。このようなずる賢い学生は自らの就職活動の進捗を自慢げに周囲に吹聴します。そして、ずる賢い学生の発言を聞いた、勉強が出来ず就職活動も上手くいかないタイプの学生は「俺と同じく勉強が苦手な〇〇も内定でてるから大丈夫だろ」と根気なき自信を持つのです。ですので、友人の発言には十分に注意しましょう。
自分は自分 友達は友達
「その人だから上手くいったんだ」
このことを忘れてはなりません。

①勉強は出来るが就職活動では上手くいかないタイプ(アプローチ編)

このタイプは、馬鹿を自覚できない傾向にあります。そのため、馬鹿を自覚させることがスタートになります。
小中高で習う無意味な勉強や教育に価値を置く馬鹿は、頑なに既存の手法に固執します。
そのため、このタイプの学生が就職活動を成功させるためには…

馬鹿を自覚する(やり方を変える)
このタイプの学生を欲する業界をエントリーする(そのまま)

以上の二択からアプローチする必要があります。
・ 馬鹿を自覚する(やり方を変える)
まず無理でしょう。仮に内定を貰えたとしても、それは演技したあなたに対して評価されたにすぎない結果。つまり、相性が合いません。また、性格の矯正や演技等をする努力、すなわち努力しなければ価値を承認されない環境で生きていく事は非効率です。それよりも、最低限の努力で価値を認められる環境に身を置くほうが賢明です。
※就活では演技が大事だが限度がある。自身と、どれだけ乖離しているか考えよう
・あなたを欲する業界をエントリーする(そのまま)
勉強が得意な、俗に言う「真面目君」は、命令された作業を熟す事に長けています。何故なら、幼少期からそうして生きてきたからです。このようなタイプの学生は実の所、就職活動では有利です。
社会では、素直で従順で協調性がある無能が評価されるからです。ですが、無能が主体性を必要とする業界(自らで考えて行動する必要がある業界)をエントリーすると失敗します。しかし、彼ら無能は、自分が無能である事実を知りません。
当たり前ですよね。
今までの人生で、教科書を丸暗記する作業や文字を左から右に写す作業に時間を費やしてきた馬鹿は、これらの「答えがある勉強」に思考を洗脳されています。
「答えがある就職活動」として他者から助言を受けなければ行動できない学生は、まさしく「勉強は出来るが就職活動では上手くいかない」タイプです。 
→続きは)社会人になるはずの学生が社会のシステムをしらないという矛盾
では、このような学生を欲する業界とは何処でしょうか?
答えは「公務員独立行政法人の系統を組む組織や事務関連」です。であれば、あなたは評価されます。
要するに、官僚主義が浸透した縦割り社会であれば、素直で従順で真面目な人間が必要となるので、このような業界をエントリーするべきです。
しかし、倍率には注意しましょう。
官僚主義が蔓延した大企業や倍率が高い公共団体であっても、人気があっては合格できません。素直で従順で真面目な人間を欲していても、採用者はユーモアある学生を採用します。多くの学生から少数者を選抜するのです。良い意味で「目立つ(ユーモアある)」学生が選ばれるのは当然です。素直で従順で真面目な人間なんぞはそんじょ其処らに転がっています。これらを全て採用していては、人的リソースの配分がパンクします。だから、採用者は学生に優劣(点数)を付けるために、適正があっても(特徴やユーモアを加点対象として篩にかける)落としざるを得ないのです。
ですから、勉強は出来るが就職活動では上手くいかないタイプの学生は、官僚主義が促進された縦割り社会、尚且つ、倍率がさほど高くない企業や団体を探してエントリーしましょう。

志望する業界が求めている人材は「認知能力」「非認知能力」どっち?

②勉強が出来ず就職活動も上手くいかないタイプ(アプローチ編)

どうしましょうか。
このタイプの人間は不確定要素の塊です。
何故なら、本来のステータスを測ることが困難だからです。
勉強をしてきた人間であれば、以下の仮説が成立します。

このような仮説では、人物の本質(人間性や適性)を把握できるのです。
前述にあるように、勉強ができるが馬鹿(就職活動がうまくいかない)なタイプであれば、なにかしらの改善策を用意できます。
しかし、勉強をしてこなかった学生はどうでしょう。
何も分かりません。
本質的には賢いのかもしれませんし、馬鹿かもしれません。
だからこそ「勉強しろ」としか言えないのです。
ですが、本質的に賢いのであれば就職活動も順調に進められるはずですので、やっぱり馬鹿なのかな……。
このような疑問が生じるため、勉強できない学生を「教養もない馬鹿」と定義します。
このレベルの学生は、そもそも就職活動についての知識が著しく欠如しているため、なにをしていいのかすら分かりません。
エントリーシート?履歴書?なんじゃそりゃ?このレベルです。
どんなに地頭が良くても、言葉を教えなければ、その能力を発揮することはできません。
そのため、基礎知識が欠如している学生の本質を見極めることは困難なのです。

さてと、このような学生は、なにをすればいいのでしょうか?
たくさんエントリーしまくれ‼︎
行動して覚えろ‼︎

この手法が妥当だと思います。
他にも、対象となる学生の本質を「馬鹿」と仮定して「勉強は出来るが就職活動では上手くいかないタイプ」として考えてみましょう。

TOPIC

本稿では、勉強が得意で生真面目な学生が就職活動で失敗すると解説していますが、論点はそこではありません。
学校の勉強が得意だから馬鹿(失敗)になるのではないのです。
現に、勉強の得手不得手に限らず「成功する人」「失敗する人」は、それぞれ存在します。
ちなみに、学校の成績(勉強が得意)が良い子供(学力=学歴と仮定)の生涯賃金が高い統計からも「勉強すると失敗する」仮説は崩壊するのですから、真面目に勉強に取り組める学生が経済的に優遇(成功)されることは当然です。
問題は、馬鹿が勉強と言う指標(ベール)で、あたかも優秀であると周囲から評価されてしまうことです。
目に見える馬鹿(勉強も苦手)は、周囲の教師や友人が支援します。
私の属する大学では、勉強が苦手な学生には手厚い指導が用意されていました。
しかし、勉強が得意な学生は一律に優秀であると周囲から評価されていまいますので、支援が必要な状態であっても誰もそのことに気が付きません。
まさに、問題点はここにあります。
ですから、大学等の教育機関では、学力が高い学生にも目を向けるべきです。

・天才や優秀すぎる故に就職活動で失敗する学生(例外編)

就職活動に失敗する学生の内、イレギュラーが一定数含まれています。
今回は、そんなイレギュラーを紹介していきます。
まずは「天才」です。
結論)このような学生に、私のような凡人がアドバイスすることは出来ません。
そして、次に「優秀」だけれども、就職活動で失敗するタイプの学生です。
知能が高いがコミュニケーションが苦手なタイプの学生が陥ります。
知能が高いので、面接において適切な「答え」を用意できます。しかし、会話が苦手なことから発言が難しいのです。
社会で「評価」されるべき人間が「面接」ごときで省かれる仕組みは、なんとも言えない気持ちになります…。
私は、このタイプの学生には「適当にやれ」と指導しているのですが、いざ本番となるとカンペを読んだカチカチな発言しかできなくなるのです。非常に勿体ないです。日頃の友達同士の会話や議論ではメチャクチャ優秀な発言や考え方をするのに、いざ面接となるとコミュニケーションが苦手なことから能力を発揮できなくなってしまいます。
対策としては、苦手を克服する事が挙げらますが、短期間では難しいでしょう。
このような優秀な学生は、本来であれば勢いに任せた発言や行動が上手くいくのですが、コミュニケーションが苦手故にカンペを読んだような面接方法になってしまい、長所を完全に潰しています。段階に分けて考えていきましょう。
第一段階は「勢いに任せた適当な面接」を心掛けていきましょう。これができないから苦労しているのですから本末転倒ですね…すいません。
第二段階は「想定され得る全ての質疑応答を暗記すること」カンペを読んだ様な面接になるのであれば、カンペの質や演技力を高める作業に集中した方が効果的です。
これでも成果が得られないのであれば、第三段階として「勉強は出来るが就職活動では上手くいかないタイプ」として就職活動をしましょう。

・就職活動で失敗する学生の具体的な行動

以下に紹介する就職活動で失敗する学生の特徴はあくまで」傾向に過ぎません。
しかし、就職活動に失敗している学生に多く共通しています。
これらに該当する学生は日頃から意識して、以下の項目をなるべく減らしましょう。

①行動しない

考えてばかりで行動に移さない学生は失敗します。何故なら、行動しなければ結果が得られないからです。
就職活動は「書く」「歩く」「話す」の単純作業です。面接会場に足を運ぶ事は幼稚園児でもできます。行動しない「言い訳」や「逃避」に「思考」という「常套句」を与えて自身を「正当化」する稚拙な言動はやめましょう。
さらに、就職活動が苦手な学生は並行処理能力(マルチタスク)が欠如しています。
そのため、他の学生と比べて活発的(積極的)な行動ができないのでしょう。
頭が悪い学生は何故だか理解不能な言動をします。
私が目にしてきた就職活動で失敗する学生ほとんど物事の並行処理ができません。
ですから、現在進行している選考の結果が出てから次の行動に移るのです。
このような、頭が悪い学生こそマルチタスクを熟さなければ成果がでないのにも関わらず非効率な行動をします。
何故、あえて自分を苦しめるのでしょうか。
彼らの生態は謎に包まれています。

勉強が得意な真面目君は要注意

真面目な学生は、就職活動での行動が消極的です。
具体的に説明します。
彼らは、エントリーした企業の合否が判明するまで何もしないのです。不採用であるのならば、その結果が告知された以降に新たな選考に挑戦します。
何故、このような不合理的な行動をするのでしょうか。
著者なりに推測してみました。
そもそも、真面目な学生の定義(ここでの定義)とは、学校の勉強が得意且つ権威に従順であることが要件です。
学校の教職員である権威は、生徒の学力を向上させるために教育を施します。
教育は勉強を手段として成り立つのですが、その成果を図るテストは得点により管理されています。すなわち、教育は目視可能な評価項目に基づき、構造化されているのです。
高得点は素晴らしいことだ。点数が低いことは悪である。このように。
とすると、既存の教育システムに適応した真面目君は、仕事や日常生活でも高得点を目指すべき理想として行動指針を定めます。
もちろん、社会には100%(高得点)の労力を費やさなければ達成できない課題もあります。しかし、限られた時間や資金の中で問題を解決しようとすると、自身が発揮するべき努力量を80%(低い点数)に抑えることが求められたりもするのです。さらに、自身が解決する問題(仕事)には、労力(費用や時間、クオリティなど)を極限まで落として、キャパシティを拡大させることで利益が見込まれるマーケティング手法も存在します。
就職活動で、絶対に妥協を許さない(夢や希望)意思を持つ人物を除いては、後者(労力を極限まで落として)の立ち回りが必要だと思います。
一つの物事に全力を注いで他に余力を残さないスタイル(テストで高得点を目指して勉強するような)が、就職活動で行動の停滞を招いているのではないのでしょうか。

②馬鹿ほど適正を見る

適正は大事です。しかし、自分に合わないと一蹴して、先入観で食わず嫌いする学生がいます。
そもそも、適正とは「合う」「合わない」評価です。
しかし、先入観に囚われている学生は客観的に物事を考察する能力が欠けています。ですから、適正を自己願望と重ね合わせている傾向があります。

自分の合う仕事しかやらない、私もこの考えが間違いだとは思いません。しかし、社会に出たことが無い学生に本当の「適正」が把握できるのでしょうか。 続きは[軸探しの危険性]から
このような浅はかな学生は、自己目標(やりたい仕事)と適正を混沌させているように思えます。
社会を知らない学生が就職活動をするのです。不確定要素はたくさんあります。だからこそ、先入観に囚われずに様々な業界や職種を調べる必要があるのです。
幅広く探究する事で「あっ‼︎」と驚く発見も見つかるでしょう。

③口だけ達者

社会に対する要望や要求を一丁前に述べるだけの学生は「まじで無能」です。
相手に対して「求める」だけで自らは「何が出来るのか」を提示しない愚かな学生が存在します。
いつになっても「受け身」です。
説明会やセミナーでは「質問」をしません。企業や会社を調べようともしません。
にも関わらず「口」だけは達者です。
しかし、いざ企業や会社の担当者と会話する機会がきたら無口になります。
自らが「行動」や「探究」をしないで、企業や会社側からアプローチされると思い込んでいる学生はもはや救いようがないです。
まさか、人間の価値が平等であると信じているわけではありませんよね?
権利や評価(価値)とは、自らが勝ち取るものです。
残念ながら、赤ちゃんのように泣きわめくだけでミルクを与えてもらえる年齢ではありません。
社会とは、自らの利益を提示することで、相手から認められます
相手が自己を認めてから、自身の利益(価値)を示すのでは順序が逆です。
高校までの教育ではそうだったでしょう。
「期待」という名の「投資」を「先生」や「親」が「無条件」で与えていたのです。
しかし、社会は違います。「投資」は「無条件」ではなく「エビデンス」があってからこそ「期待」されて「与えられる」のです。

④自惚れてる馬鹿

身の丈に合わないことする学生がいます。
残念ながら無能は、優秀な人間が就く仕事はできません。
私が見てきた例を挙げます。
夏休みに入っても、内定が一社もでない学生がいました。
「なにしたいん?」
このように尋ねると…
「いろんなことができる仕事(いわゆる総合職)と、返答しました。
加えて
これら以外の仕事はしたくない」とも彼は述べました。
まず、夏の時期に内定が一社も貰えていない時点で気が付くべきです。
自分は優秀ではないと。
いろいろな仕事、即ち幅広い職務をこなすためには、それに応じた知識や能力、加えて、対応力や機転を利かせる事が求められます。後者に限っては「思考」ありきの能力ですので、更にハードルが上がります。
このような能力を持った人間であるのならば、志望する「いろんなことができる仕事」の採用試験に合格しているはずです。
けども、内定が一社もない。
つまり、優秀ではないのです。
そして、優秀でないことに気が付かずに、戯言を吐いている時点で、さらに優秀ではないです。
また、「いろんな仕事」が「能力が高くなければできない」との事実が理解できていないのであればダブルパンチ頭が悪いです。
さらに、夏の時期にも関わらず、内定が貰えないであろう企業や会社をエントリーするあまり、他を疎かにする行動はファーストキャリアを潰しかねません。リスクヘッジを行い、志望する仕事に付けなかった際に、再チャレンジする機会を確保しようとするのであれば「これら以外の仕事はしたくない」などの発言はしません。このような計算(比較)が苦手なことから、トリプル頭が悪いです。
今、何をするべきか?
このような最善の解を導くための計算ができない自惚れている学生は失敗します。

⑤ 「大手」をエントリーしない傾向

優秀ではない人間が自身のステータスを理解して、倍率が低い企業や会社のみをエントリーすることについては賢い選択でしょう。
しかし、Fラン大学生に多い特徴として「大手受からないだろ」と始めから決めつけている方がいます。
私もそうでした。
大学のランクが低いから、其れ相当の企業しかエントリーしない。
ですが、実際に就職活動してみると大学の看板などは関係ありません(自論)。
一流大学学生が就職活動有利なことには変わりませんが、チャンスが無い訳ではないのです。
総合商社や財閥系企業、大手金融、結局のところ、Fラン大学生内定取得が難しい団体はこれくらいです。
他の企業や会社ならば、受かります。
Fランだから「優秀ではない「落ちる」と思い込んでいる学生もいます。
勿体無い!チャンスを捨てるな!
まずは、就職活動で「失敗」する要因が「外的」「内的」どちらかを把握しましょう。
そのためにも「行動」あるのみです。

⑥就活で本当のことを言う馬鹿(嘘が付けない学生)

就職活動で躓く学生の特徴として「嘘」をつけない学生がいます。
このタイプの学生は失敗します。
学校教育の影響で、幼い頃から「嘘」はダメだと真摯に受け止めて育った「いい子ちゃん」は、頭が悪いので、臨機応変な面接ができません。
そして「嘘」を付けない人間の根底には「相互理解」が内在していると推察します。
詳しく解説しましょう。
学校教育では、三十人余りの教室で共同生活をしなくてはなりません。ですので、必然的にクラスの全員と仲良くしなくてはならないのです。選択肢として、嫌いだから避ける事はできません。物理的にも距離が近いのですから「仲良く」を強いられます。
これらを円滑に進めるべく、学校教育では「どんな人でも話せば分かり合える」「嫌いを克服しよう」「相手の良い箇所を見つけよう」こんなスローガンを掲げています。つまり、人間関係において「嫌い」を「好き」にすることが重要だと教え込みます。
私は、このような「性善説的」な教育を否定するつもりはありません。
ですが、「嫌いな人間の関わり方」についても教えるべきだと考えます。人間同士が誤解なく心から分かり合える世界などは夢物語です。理想を実現しようとする志は素晴らしいことですが、人には気持ちがある以上、好きや嫌いは意識、無意識問わず生じます。ですから、嫌いを好きにならずとも、嫌いの感情をコントロールして嫌いな相手とも良好な関係を築くスキルを身に付けさせた方が良いのかな、と私は思います。
心からの「相互理解」を「期待」した学生は、就職活動で「本当」のことを述べます。
面接で、嘘偽りない自分を認めてもらうことに意義あるのだと。そのために「本当」を話して、それを認めてもらえてこそ面接であると、就職活動の目的(内定取得)を手段(面接)と転換しています。
徹底的に話し合って、語り合って、理解し合って、これらのプロセスを得てから入社しようとする学生は就職活動を「友達作り」と勘違いしています。企業や会社側は、あなたにそこまでの時間を費やしません。
「一緒に働きたい仲間を探している」よく聞く言葉です。事実ではありますが、前提として、コミュニケーションの時間を充分に確保できる友達同士すら、互いの本性を理解し合うことが難しいのです。ならば、尚のこと、就職活動の面接や履歴書、エントリーシートのみで自分を理解してほしいとする心境は、烏滸がましいと言えます。
さらに、内定が取得できなければ、就職活動の意味はありません。確率論ではありますが、就職することを前提として活動するのであれば、目的を果たすことに全力を尽くすべきです。その結果、自分の将来に幅が広がり「嘘偽ることのない」職場で働ける可能性が上がります。

「嘘」を「付けない」学生を簡単に見分ける方法があります。
私の経験にはなりますが「本当」のことを言う若しくは書く学生は「エントリーシート」や「面接対策の想定問答」を他者(友人等)に見せようと(見せられない)しない傾向があります。
「履歴書見せてよ‼︎」と尋ねても「恥ずかしいからヤダ」と言うのです。このような学生は根本から就職活動を勘違いしています。
そもそも、何故「恥ずかしい」と感じるのでしょうか?
それは、履歴書に「本当」のことを書いているからです。
自分の「性格」や「性質」を赤裸々に記述しているのですから、プライバシー的な嫌悪感を抱くのは当然です。
しかし、就職活動でアピールする「自分」とは「自分」ではありません。
相手から「求められている」「自分」を「作る」ことが重要です。
ですので「自分」でありながら「自分」でない「分身」を「用意」して「面接」させることの前段階として「履歴書」や「エントリーシート」があるにも関わらず「本当」の「自分」をプレイヤーとして立たせている時点で、就職活動を誤解しています。「分身」の情報を書いているのであれば「恥ずかしい」なんて思わないはずです。
イメージとしては「プレイヤー(就活生)」が「分身(キャラクター)」を「ゲーム(就活)」に参加させているようなものです。であれば「分身」である「キャラクター」のステータスに羞恥心などの感情を抱くことはありません。
そもそも、人間は完璧ではありません。ですから、面接では「自分」という「商品」を売り込むために「分身」を用意するのです。
面接では「商品」を「売り込む」ために、短所をカモフラージュし、長所を前面に押し出すものです。
自分の「真実」つまりは「短所」も含めて相手に理解してもらおうとする姿勢は、採用側にリスクを負わせる行為です。「あなた」を採用するためには「短所」というリスク(危険性)や不確定な要素を「企業や会社」が背負わなければなりません。なぜ「あなた」のために、企業や会社が責任を負わなくてはならないのでしょうか。
あなたの「真実」の「姿」が完璧ならば問題はありません。
自分が欠点のない完璧人間と自称する学生であるならば、嘘偽りない姿の「あなた」でも認められます。しかし、人間とは短所を如何に減らすのか、伸ばすのか、試行錯誤し、又は他者に補ってもらい、支え合ってこそ「人類普遍の原理」であると思います。
欠陥や弱点があるからこそ、就職活動の対策をするのですから、自己の特徴を補正した段階で、それは「あなた」ではなく「分身」となります。
このような「分身」を「用意」できない学生の心理として、少なからず、他者へ期待(相互理解に基づき面接をするべき)してしまう作用があるのだと思います。
これらの原理が理解できずに「真実」を「認めてもらおう」とすると、就職活動では上手くはいきません。
嘘も方便とも言います。
もちろん、自身を「偽り」すぎると、エントリーする企業の職業適正から乖離することになりますので、適度な「分身(嘘)」を心掛けましょう。
※このような記事を書くと馬鹿が誤解するので追記します。学歴詐称や資格詐称などの嘘は絶対にやめましょう。

⑦エピソードを盛れない馬鹿

前述と原理は同じです。

私の経験した例を挙げます

とある学生は大学のサークル所属していました。
役職サークル長です。
このことから、サークル長の経験を面接のアピールポイントとして述べるように助言しました。しかし、彼は断りました。理由は、サークルでの活動が少ないことからアピールする箇所がないとのこと。
就職活動では、自分の「ショーモナイ」エピソードを如何に「崇高な」経験として語れるかに尽きます。
そもそも、ほとんどの学生は「ショーモナイ」エピソードしかありません。漫画やアニメの主人公のような経験がある学生は僅かです。
ならば、その僅かな学生しか「内定」が貰えないのでしょうか。違いますよね。
ですから、エピソードとは「盛る」そして「作る」ことが大切です。

⑧目上の人間を笑わす事ができない学生

目上(歳上)の人間を「笑わす」ことが内定への第一歩です。面接官は基本的に、大多数の学生を相手にします。
面接官も人間です。
ですから飽きます。
そこで、受けを狙った発言から面接官を「笑わす」ことができれば、自身の存在が際立ちます。
しかし、注意が必要です。
笑いを取るテクニックがない方が、面接官を相手にして奇をてらったアクションをすると白けます
さらに、笑わせるような発言は、ユーモアがある人間だとアピールするようなものです。
ハイリスクハイリターンです。
ですから、オススメできる手法ではありません。テクニックの一つとして覚えるに留めて下さい。
目上(歳上)の人間に対して、笑いを促せる人間は優秀だと思います。何故なら自らが「主体」となって「行動」できるからです。
ほとんどの人間は「受け身(受動的)」を中心として成長してきました。親や学校の先生から知識や技能を「与えて」もらうことで、価値を評価されてきました。ですから「先生の言うことは正しい」「先輩の命令は絶対」「歳上の意見は尊重」このような権威主義に慣れきっているのです。
故に「自ら」が「目上(歳上)」の人間に対して「与える(主体性の発揮)」経験をしてこなかったのです。そのような学生が就職活動で面接官を笑わせることは難しいのです。
権威に翻弄されず、目上(歳上)の人間に対して臆せず意見できる優秀な人間が「就職活動」で「笑い」を取れるのだと思います。

面接で緊張してしまう学生

〇〇になりたいんだ‼︎
〇〇会社が第一希望、絶対に入社したい

このような、強い思いを抱いている企業や会社、団体の面接で緊張してしまう事は致し方ありません。
今回、取り上げる内容は[面接全てにおいて緊張してしまう学生]です。
志望度が低い企業や会社の面接でも緊張してしまう学生は、極論「面接」に失敗したら「死ぬ」と思っています。
しかし「面接」で緊張しない学生は「面接」で失敗しても「死なない」ことを知っています。

詳しく解説しましょう。
「面接」が苦手な学生の多くは「頭が悪い」です。
つまり「思考」を放棄してきた故に、自己判断ができないのですから、他者に行動如何を委ねるしかありません。その結果、敷かれた線路(レール)の上を歩むような「生き方」しかできなくなるのです。
高校受験や大学受験で「成功」する事が「全て」であると教え込まれた彼ら彼女達は、自然と「失敗=死」として捉えるようになります。何故なら、他の「生き方(手法)」を知らないのですから「不確定な事象」は「嫌悪感」を抱く対象となります。
このような「レール」を歩むことが常習化している学生は、例え「失敗」しても許される事柄であったとしても、過去の教訓から無意識的に「失敗(脱線)」を恐れます。ですから「緊張」するのです。

⑩当たり前を述べる馬鹿

馬鹿は感情論が大好きです。
ですから、根拠や証拠がない事柄を面接ではアピールします。

努力ができます。
気合いがあります。

このような、根も葉もない気持ちを全面に押し出します。
学生の中には、遅刻しない、居眠りしない、をアピールしてますが、これはもはや論外です。
もちろん、このようなスキルは重要です。
しかし、相手に伝わらない若しくは証明しようがない事柄は無いのと同然です。
面接では、自分を売り込む場です。
客観的に評価できる項目でなければ、相手は購入しません。
抽象的な事柄から、相手に期待をしてもらうような、見込み購入は就職活動では致しません。
例えば、既に結果を残している人間と、結果を残す予定だと自称している人間、どちらが信用に値しますか?
就活市場において「~かもしれない人材」よりも「~する人材」の方が評価されます。
努力や気合いなどの、かもしれない性質は極めて抽象的です。その行為に対するエビデンスがないのならば尚のこと。また、感情に基づく発言は、どのような根拠を述べた所で信用性が薄くなります。なぜなら、根拠とする経験と、志望する仕事が、同一性の性質を共に発揮できる環境であるとの確証がないからです。
努力ができる、気合いがある、このようなポテンシャルは重要でもありますが、当たり前でもあります。
そもそも、仕事なんですから「やる」こと前提です。そこに「やらない」の選択肢はありません。
加えて、仕事は「成果」さえだせば、過程である「やる」に伴う性質に拘りません。努力して成果を出す、努力しないで成果を出す、これらの結果に違いがなければ、気持ちは自由で構いません。
ですから、このような評価されない事柄、当たり前の事柄をアピールする学生は馬鹿です。
採用側は、不確定な要素を含んだ学生は採用したくはありません。
性質を発揮するかもしれない、あくまで「かも」です。するかもしれないし、しないかもしれない、曖昧な事柄はリスクを内包しますから落とされて当然です。

⑪ 面接で黙り込む馬鹿

なぜ、面接で黙り込むのでしょうか。
それは、問われた質問に答えられないからです。
頭が悪い人間の特徴として、分からないことは悪である、このように捉えます。
分からないのであれば聞けば良い、単純な原理です。しかし、分からないことが悪いとする人間は必ず、答えようとします。
結果、ちんぷんかんな解答をする又は思考停止して黙る、これらに陥るのです。
そもそも、日本の教育とは「受け身」が主体です。そのため、相手から与えられた課題を熟すことで評価されます。相手からの要求に応えられない、つまり、評価されないのだと誤解するのです。
分からない事があれば聞けば良い、このような、知らない事実を認識して自己成長に繋げようとする思考(知能)すら彼らは持ち合わせていないのです。

合わない事をあえて行う

馬鹿な学生は、とにかく努力が大好きです。
適性に合わない仕事であっても、努力によって乗り越えようとします。
何故なら、努力によって「何かを成す」ことに美徳を感じているからです。
主観的な視野で、努力を賞賛している学生は、自己しか考えられません。
自分が努力している事実を評価しているのですから、努力がそのものが齎す本来の影響を気にも留めません。
努力とは手段であって、結果に伴う手段が簡略化できるのであれば、努力に大した意味はないのです。
ですから、努力が対外的に評価される対象であることを忘れてはいけません。
努力とは自己の中で完結する行為ではなく、他者との共存関係に影響します。
例えば、菓子を大量に作ろうと考えました。
そこで、アルバイトを雇います。
後日、二人の採用希望者が来ました。
片方はパティシエ、もう片方は板前、どちらを採用しますか?
もしも、板前が努力をするから雇ってくれと懇願したとしても、パティシエを採用しますよね。
これと同じく、努力は手段故に、第三者の評価によって努力の意義が問われるのです。
ですから、主観とは独立した第三者込みの概念として「努力」を捉えましょう。
努力が大好きな学生は、就職活動でも上手くいきません。努力を目的として認識していることから、利益や成果を重要視した企業や会社の面接官と話が合わなくなります。
これらの乖離を無くすためにも、努力が手段であることを忘れてはなりません。

⑬主観的な人間

主観的な学生は「自己」が第一です。
頭が悪いので「他者」について思考できません。
ですから、自己について影響を及ぼす事象(メリット・デメリット)のみに興味を示すのです。
社会とは相互援助、悪く言うのであれば共依存…相互依存です。
このような社会で、主観的な人間は上手くはいきません。
採用面接で、馬鹿は自己本位な発言をします。
よく「聞く」面接での発言は「成長」です。
御社に入社できたら「成長」することができます。
このような発言は一方通行です。
会社は、あなたの成長を期待する存在ではありません。
自己が成長した結果、つまり、相手にもメリットがある状態、これが相互依存です。 自己のメリットを提示するに過ぎない学生は失敗します。
さらに、他者について思考ができないのですから、当然「自己の客体化」もできません。
そもそも、自己を客体化するためには他者の存在を視野に入れた比較作業が欠かせません。
ですから、主観的な学生は他者のみならず、自己についても客観的な分析ができないのです。
社会とは「歯車」のようなものです。
大きな物(社会)を動かすための機械(雇用)が貴方であると仮定すると、自己を部品として相対化しなければ、その役割を果たすことができません。
自身が小さな歯車の一部だと認識するためには、全体像の把握と機械の役割を明確に理解する必要があります。でなければ、歯車としての貴方は役割を果たせずに「壊れた機械」として取り除かれてしまいます。
自己を一つの歯車の部品として認識するためにも客観的な視野を持つことが重要となるのです。

主観で物事を把握する頭が悪い学生は就職活動では失敗します。
著者が実際に経験した面接指導を例に挙げます。
民間企業(某コーヒー)にエントリーした学生の模擬面接で「弊社の魅力は?」と質問しました。
そしたら、その回答として「〇〇のメニューが美味しい」「店舗が綺麗」「料理を作る工程が独特」と述べました。
私は頭が痛いです。
主観的な人間は基本的に自分が経験(五感を通して)した範囲内における事象の理解や把握しかできません。そのため、自己が経験した由来の物事を除いた、推察や想像ができないのです。
例えば、アニメやドラマを鑑賞しているとしましょう。
そこで、主観的な人間は、スクリーンに映し出される描写のみが世界の全てだと認識します。
もちろん、創作物ですので画面に映し出される映像のみが世界の全てなのですが、客観視できる視聴者はスクリーンに映し出される描写以外にも着目して世界を解釈するのです。
その結果、画面に映らない世界(登場人物の動向や思考)を見据えた考察が可能になります。
アニメやドラマは、登場人物の生活を抜粋して画面に写し出しています。仮に六十分の創作物に一日分の時間(作中で流れる時間)を与えたとしましょう。そうすると、視聴者が認知可能な世界は1/24時間です。つまり、主観的な視聴者は、登場人物が生きる世界のほとんどを理解できないのです。しかし、客観的な視聴者は画面に映し出される光景の外側を考えます。だから、作品に対する理解や楽しさが深まるのです。
就職活動でも全く同じです。
魅力は何かと質問された回答が自己の主観のみでは本質は見えません。
エントリーする企業の店舗に訪問する際に、表面上の光景しか理解できずに魅力を語るようでは採用されません。
画面の外側に着目するのであれば、魅力とは他社と差別化が可能且つ利益を生む存在です。
主観的な人物は自己にとっての魅力(自分が思う魅力=相手が思う魅力、このような脳内)を語ります。
「〇〇のメニューが美味しい」それは、主観です。あなたが美味しいと思うだけです。
もしも「〇〇のメニュー」が売れていなかったら?
もしも「〇〇のメニュー」が人気でも生産コストの問題から利益が微小なら?
このように、企業の魅力とは「利益」と深く関係しています。
魅力に感じる項目でも「利益」を生まなければ「損失」です。
「店舗が綺麗」が魅力的だとして、仮に維持費が嵩むようならば、その魅力は「損失」故に「魅力」ではありません。それを、採用面接で魅力であると語るようでは本末転倒です。
就職活動で、企業の魅力を伝える場面において、主観的な根拠(五感の経験)に帰属する内容を述べる学生が本当に多いです。
頭が悪い人間は自分の主観が全世界共通の概念だと思い込んでいるのでしょうか?
不思議です。

・就職支援で明らかとなる発達障害

就職活動で成果を出せない学生の一部に「自分探し」に放浪する者が存在します。
このような学生の「さらに」マイノリティな区分として「人間の本質」を探究する学生がいます。
「人間の本質」である「何故働くのか?」「何故生きるのか?」これらを発言するのです。
求人を紹介したり、就職活動のアドバイスをする際に都度、本質を尋ねてきます。
何をするにも「働く意味」が分からないから「行動」しないとする学生は、就職活動では上手くいきません。
そして、このタイプの学生は知能の発展が遅れている可能性があります。
これらの「疑問」は思春期特有の「悩み」です。
社会や、知識に触れることで、自己同一性を自己に問いかけて「葛藤」するプロセスを得て成長するのです。
「疑問」を持って生きていくことは重要です。しかし、本来であれば、青年期の成長段階で終えている「疑問」です。ですので、アイデンティティの未形成故に生じる弊害だと言えるのです。
以下は自論を含みますのでご注意を。
私は、自己成長に欠かせない「道具」とは「外部刺激」であると考えます。
アイデンティティの形成には「他者との比較」が関わってきます。「他者」が存在する世界で「自己」とは「何か?」に「葛藤」を抱く時期が「思春期」と呼ばれます。
これら、思春期の健全な到来とは「自己以外」の外界と接する事が前提であり、外部刺激に障害が生じると、アイデンティティの形成も阻害されます。
一般的に示す「外部刺激」とは、家庭環境や友人関係です。
ですが、私は「勉強」も「外部刺激」に含まれていると推察します。
ここでの「勉強」とは広義の意味です。
何も「学校の勉強」だけを指すものでありません。
私は「考える」こと全般を「勉強」と定義しています。
そして、就職活動で上手く行かずに、本質を問う傾向にある学生は「自分の頭で考える」作業を人生において経験しなかった(機会が少なかった)のだと思います。その結果、就職活動若しくは大学での環境(学問)で「考える」を始めて経験することで、脳が活性化されて「思春期」現象を引き起こしているのだと考察しました。
学生の就職活動を指導する立場にある方は「本質を問う傾向にある学生には要注意‼︎」です。
知能が未発達(成長段階)故に、自我形成の過程(思春期)の到来が遅いのです。
ですから「基礎的な知能」が極めて低く、まともなコミュニケーションすら取れない可能性があります。
このような学生の指導には「手取り足取り」伝える事が大切です。
「これは知ってるだろう」
いいえ、理解していません。どんな些細な「教養」であっても説明してください。
そして「手取り足取り」の指導を実施するためには「時間」が必要です。ですから「本質を問う傾向にある学生」の早期発見は欠かせません。
それには、根底にある「考える」を怠ってきた学生を探せば良いのです。
非行少年タイプ真面目タイプの人間は「考える」をしません。非行少年は当然として「真面目タイプ」では幼少期から「親」や「先生」の指示に「機械」のようにこなしてきました。ですので「思考」しているようで、実は「考える」を全くしていないのです。
就職活動を始める時期に「何もしていない」「悩み始める(本質を問う)」加えて「非行少年タイプ」や「真面目タイプ」であるならば要注意です。

先天性の発達障害

グレーゾーンや境界知能の学生は少なからず存在します。
しかし、自らの個性を自覚している大学生はごく僅かです。
私は、学生とのコミュニケーションを通して、ある一定の割合は「?」(言葉が通じないな)と感じています。
さらに、この「?」と感じる割合が、実数(大学に属する障害者の比率)よりも遥かに多いです。
(参考文献)文科省 障害学生の現状

著者
著者

医療機関が認定している障害者は一部に過ぎない
障害者と認定されていないだけで実際は数値よりも遥かに多い

高機能自閉症や学習障害は、今では珍しい障害ではありません。
しかし、発見することが困難でもあります。
「勉強はできる」「知能指数(IQ)は高い」これらは、何の根拠にもなりません
勉強が得意だから知能が高い(発達障害ではない)
これは幻想です。
得意不得意の話です。
貴方は、ビデオゲームが得意な子供を知的(賢い)であると認識しますか?
しませんよね。
知的(賢い)かどうかは置いといて「テレビゲームが得意な子供」として認識するはずです。
義務教育の「勉強」も全く同じです。
世間一般では勉強が得意な子供は知的(賢い)だとされています。
教科書の内容を暗記して白紙に写す作業に疑問を持たず素直に先生の命令従う子供を知的(賢い)だと評価するのであれば、問題はないのでしょう。
しかし、知能は勉強に起因しないこと(生得的)から、勉強の得手不得手が知能に与える影響は少ないと言えます※。
あくまで、勉強が得意な子供は「知的(賢い)」なのではなく「勉強が得意」なのです。
「テレビゲームが得意な子供」だって、攻略に必要な情報を調べて戦い方を研究します。
敵がどのような攻撃をするのか、自分はどのように立ち振る舞えば良いのか、ゲームであっても「推論」します。
なのに、「勉強」だけが「知能」を測る道具として活用されています。
「勉強」や「テレビゲーム」の得手不得手、どちらも「知的(賢い)」であるかどうかは関係ありません。
もちろん、「知的(賢い)」であることが「物事(勉強・ゲーム)」のパフォーマンスを高める要因の一つにはなりますが…。
勉強であっても考える作業をします。
ゲームも考える作業をします。
そこに、違いはありません。
「好き」か「嫌い」かの気持ちです。
「知的(賢い)」だから「勉強」ができる。
「知的(賢い)」だから「ゲーム」ができる。

いえいえ、「勉強」が「得意」なだけです。
「ゲーム」が「得意」なだけです
さらに、たまたま「その分野」だけが「突出」している可能性があります。
知能と具体的な行為(勉強やゲーム)との因果性が直結しないことから、突出した事柄(勉強やゲーム)を根拠に知的であると断定することはできません。
ですから「勉強」だけが知能を測る指標ではないことを理解すべきです。
そして「就職活動」における不得意のみで知能の欠陥を指摘できるものでもありません。
就職活動が得意な学生は「知的」なのではなく「就職活動が得意」なのです。
しかし、「勉強」や「ゲーム」さらには「就職活動」も「苦手」ならまだしも「めちゃくちゃ苦手」に感じる学生、又は、周りの友人ができることがあからさまにできないのであれば、知能的な欠陥を疑うべきです。
義務教育までは、「勉強」のみにフォーカスが当てられていました。
だから、勉強が得意な学生は、知的な健常者だと評価されてきました。
ですが、勉強は「ゲーム」と同じく、一つの指標に過ぎません。
その、狭い視点(指標)から発達障害の学生を見つけることは極めて困難です。
たまたま「得意」な「勉強」だから評価されてきたに過ぎない学生は、新たな指標に対面した時に混乱します。
この混乱の度合いを測る機会が就職活動です。
混乱の度合いが少ないのであれば「苦手だな」くらいの意識、また就職活動を行う中で慣れていくでしょう。
しかし、混乱の度合いが大きくなればなるほど、就職活動が「めちゃくちゃ苦手」だと感じる様になり「みんなができることができない」などの症状に悩まされます。
これら環境の転換期における「みんなができることができない」の振り幅(度合い)で、発達障害を見分けることが可能になるのです。
知的障害を自覚せずに社会で生きることは精神的な負担に繋がります。
怒られたけど理由が分からない。みんなが出来る仕事が僕だけできない。
これらの原因は自分の努力不足によるものだ。
このような自責を抱きます。
それだけではありません。
周囲の人々は貴方を責めるでしょう。
何故やらないのか?
何故努力しないのか?
みんなできているだろ?
そこで貴方は考えます。
何故私はダメなのか?
上司や仕事仲間から言われるように、努力が足らないからだ。
つまり、私が悪いんだ。
このようにして負の連鎖に陥るのです。
就職活動で失敗してしまう原因は「努力不足」なのか、はたまた「障害」なのか、自分を知るためにも過去を振り返って考えてみましょう。
「疑わしい」と感じたのであれば、医療機関の診察を勧めます。
※ 勉強しても知能は上昇しない。つまり、勉強が得意か不得意かの判断で知能的な優劣を証明することは難しい。たしかに、勉強すれば知能指数が上昇するとの結果があるが、それでも生得的な知能の優劣には勝らない。

・就職活動は自分を知る機会

就職活動は貴重な経験だと、私は考えます。
人生で一度きりの「新卒」の就職活動。
学生から社会人になる通過儀礼が「就職活動」であり、加えて、社会にとって自分は「何者であるか」を見つめ直す機会でもあります。自分は「何が好き」で「何が得意」そして「どんな性格なのか」これらを吟味して、企業や会社を選びます。
就職活動の過程において、自分の「好き」や「嫌い」「得意」や「苦手」を発見できる事も醍醐味です。
また、就職活動を通して自分が「就職活動」が「苦手」又は「得意」これらにも気が付けます。
もっと内容を噛み砕いて説明します。
就職活動は、基本的には自らが「主体」となって取り組む行事です。しかし、ほとんどの学生が「自らの意思」で行動する機会がありませんでした。特に高等学校までの教育は「言われた作業を熟す」ことがメインです。自らの「意思」で「思考」し「行動」しているつもりでも、実は「誰かの意思」が介在しています。
そんな学生時代を過ごした彼ら彼女らは「自らの意思」で「行動」した経験がなく「就職活動」で初めて自らが主体となって行動する機会が巡ってきます。

自分で「自由」に企業や会社を「探し」
自分で「自由」にエントリーする企業や会社を「研究し」
自分で「自由」に「対策」して「行動」する

このような就職活動だからこそ、自分を理解できるのだと思います。
人間の本質を知るためには「自由」を与えることが重要だと言われています。
就職活動の経験は「自由」な状況を模している環境です。
義務教育までは「課題」や「問題」を「解決」する「道筋」や「模範解答」が用意されていました。
そのため、学校の先生に「素直に」従い「努力」や「我慢」をすることで「成果」と結びつく構造が義務教育です。
既存の「道筋」を踏襲するのであれば「努力」は必ず「結果」に反映されます。
しかし、就職活動では「自由」故に「模範解答」が存在しません。
そのため、「努力」が「結果」に反映される確約は保障されず、就職活動で苦戦する学生は他者と比較して悩むでしょう。
「こんなに努力(学校の成績)してきたのに報われないのはおかしい」このように。
自らで「思考」することが「苦手」な学生は、就職活動で戸惑います。
反対に自らで「思考」することが「得意」な学生は就職活動で「結果」を残します。
ですので、気持ちの問題です。
あなたが就職活動に取り組む段階で「嫌悪感」を抱いたのであれば、本質的に「指示された作業を黙って熟す(受動的)」ことが得意な人間だという事です。
基本的に受動的な人物は、義務教育での影響が強く性格に表れています。
「指示された作業」を黙々とこなす工程は「勉強」と同じです。
義務教育の環境では子供の成長過程を数値化するために、指導方針に「道筋」を定め、問題や課題に「答え」を用意しています。
ですから、義務教育で子供たちは問題や課題を解決することを絶対の価値観として認識するのです。
そうすると、与えられた問題や課題を「やらない」選択肢はなく「答え」を導き出すまでの「クオリティ」を求めるようになります。
つまり、問題や課題を解決するための「時間」や「分量」に着目するのです。
そして、これらの作業の効率化を図る手段が「努力」と「我慢」だと言えます。
もちろん、社会において課題や問題を迅速に処理する能力や大量の仕事をこなす能力は必要です。
しかし、勉強で養われる能力は「認知能力」に過ぎません。
ですから、「努力」や「我慢」とは「認知能力」を育む義務教育だからこそ機能した性質なのです。
社会では「認知能力」のみならず「非認知能力」が求められる場面があります。
もしも「機転を利かす」ために「努力」と「我慢」で解決しようと試みたのならば上手くはいきません。時には「現在進行形の仕事」を「諦めて代替え案」を考える「機転」も必要です(詳細)。
「諦める」は教育的な作用とは無関係と言えます。
義務教育では「答え」がある「勉強」から「努力」と「我慢」の習慣を子供に教えますから「諦める」考え方は苦手なのです。
「受動的」な人物は「認知能力」の高さから「努力」と「我慢」に長けているように思えます。
ですが、社会には「非認知能力」が重要となる場面も存在するのです。
「受動的」な人物は、「非認知能力」が求められる仕事を避けて、「答え」がある「作業」に対して「努力」で貢献できる仕事を探しましょう。

あなたが就職活動を始める段階で「ポジティブ」な感情を抱いたのであれば「思考する(能動的)」ことに長けている可能性があります。
このように「言われた作業をする」か「自らで思考して仕事をする」か、どちらが適しているかを把握する上でも「就職活動」の際に抱く感情は大切(判断材料となる)なのです。
これら、二つの概念から「あなた」が「入るべき」企業や会社選ぶ参考に考えましょう。

就職活動によって自己を知る意義は他にもあります。
それは「ハンデ(知的障害)」の有無です。
自らが「知的障害」であるかどうかを知る機会は、なかなかありません。
重度な知的障害であれば、早期に発見されて何かしらの処置が施されますが、軽度又は境界知能であれば発見や自覚は遅れます。
私は「障害を持った方」を「発見」できる機会は「就職活動」が最後だと感じています。前述した通り就職活動とは「自らで思考」しなくてはならない特殊な機会(経験)です。故に、今までとは違った「行動」が求められます。そこで「平均(周り)」と比べて「就職活動」が「上手く行かない」ようであれば適応能力や思考能力に問題がある場合が考えられます。

:履歴書やエントリーシートが書けない
:面接で何を喋ればいいか分からない
:何から始めたらいいか分からない
:試験会場に行けなかったり迷う
:書類の書き方や提出方法で迷う
:就職活動について、面接官や学生の行動や発言が理解できない
:自分はちゃんとやっているはずなのに周囲からは冷ややかな目で見られる

いくつかの症状を挙げましたが、当てはまっている項目がありましたら、医療機関の診察を勧めます。障害を持っている学生の学力が低いとは限らないので見極めには注意が必要です。
勉強ができる事は判断材料にはなりません。
勉強ができる」ことを理由障害を持った学生見逃すケースは多いです。
このような先入観は捨てましょう。

・ネガティブになるな

筆者である「私」が「あなた」に対して「馬鹿」「馬鹿」「馬鹿」と言っておきながらネガティブになるなとは身勝手な主張だ‼︎
たしかにごもっともな意見です。
ですが、ネガティブな気持ちで就職活動をするほどに無意味なことはありません。
自信が持てずに途方に暮れている学生を誰が採用したいでしょうか?何処も採用しません。
「私は「馬鹿」だからダメな人間なんだ…」
いえいえ、知能の良し悪しは人間を評価する上での一つの指標に過ぎません。
料理が得意、サッカーが得意、テレビゲームが得意、裁縫が苦手、バスケットボールが苦手、本を読むのが苦手、これらと全く同じです。なぜしか人間(特に男性)は「肉体的な強さ」と「知能」この二つにコンプレックスを抱くようです。私からしたら不思議でなりません。ともかく、知能の優劣であなたの普遍的な価値が決定されるわけでは無いので気にするだけ時間の無駄です。
「今は馬鹿だが、これから知識を蓄えて成長できるんだ」このように考えましょう。
ポケモンのゲームを想像してください。最初はレベルが低く弱いです。しかし、これからレベルが上がり強くなっていく未来が想像できるからこそ今後の展開にワクワク感があるのです。そのためにはまず「現状把握」です。
あなたはレベル1のポケモンを保有しているポケモントレーナーです。
ポケモンとはあなたの能力、トレーナーはあなた自信の意思です。故に、レベル1であることを自覚し、ポジティブな精神で自らを育んでいくことが大切になっていきます。レベル1であることが自覚できない、ポジティブになれない、これでは何をしても失敗します。自覚がないとレベル100に勝負を挑むかもしれません。ネガティブな気持ちを持っているとそもそも勝負をする気力が生まれないかもしれません。
就職活動も全く同じです。
あなた自身を把握した上でポジティブに就職活動に励んでいきましょう。

仕事でも、問題や課題を発見して具体性を持たせることは重要です。問題や課題は現状による事実から定義されます。「A」と言う商品が売れていないのであれば、まずはその事実を認めなければ次の段階(分析や改善)に進むことはできないのです。そのため、問題を解決するためには事実の把握が必要です。
ですが、頭が悪い人物は事実と向かい合うことを嫌いますから、問題解決どころか問題や課題を定義する作業すら困難になるのです。

訂正;対策や対応

岡田斗司夫氏「シャーデンフロイデ」解説動画

・軸探しの危険性

世間
世間

就職活動では「軸」が大切だ‼︎

と、みんな言います。
就職活動において「軸」が重要なのは確かです。
では「軸」とは何でしょうか?

「やりがい」
「得意なこと」
「好きな事」
「インセンティブ」
「ポテンシャル」
「適性」
「福利厚生」
「給与」etc..

つまりは、あなたが「したい(就きたい)」仕事です。
優秀な人間は「したい」「やりたい」仕事に就けます。ですから、成功者である指導者は「軸」が大切であると啓蒙するのです。
「軸」を持つことができる学生とは
「やりたい」仕事を「できる」優秀な人間だけです

ちなみに「したい」仕事(第一希望職)に就けた新入社員(元学生)は全体の何割を占めるか分かりますか?
調べてみてください。
そして「あなた」が全体の上位を占める優秀な人間であるのならば、このような記事を閲覧することはないでしょう。
自らを「比率に占める上位」の優秀な人間だと自負する学生は「軸」を決めてください。
私は、就職活動で失敗するような学生が「軸」を定める事には反対です。
理由は、もう一つ挙げられます。
「軸」を探すためには「適性」すなわち企業とのマッチングを考える必要があります。
「適性」を考えるための前提条件として「自己分析」が欠かせません。また、自己分析とは自分を客観視することによって、その意義を見出せます。
しかし、就職活動で躓く様な「馬鹿」は自らを客体(独立させて)として観察することは出来ません。
故に「馬鹿」に自己分析させても「自己願望」にしかならないのです。
そして「馬鹿」「やりたいこと」を考えさせたとしても「馬鹿」なので誤った「見方」しかできません。
例を出しましょう。

とある学生は自己分析として「考えるのが苦手」と自らを評価しました。そんな学生は「単純作業ができる仕事(やりたい事)」として、企業を探しました。そこで、チェーン展開するスーパーマーケットをエントリーしました。彼曰く、スーパーマーケットの仕事は「品出し」することだから、自らの「適性」や「やりたい事」と一致するのだと。
しかし、彼がエントリーしたスーパーマーケットは、関東圏を牛耳るマンモス企業。尚且つ、総合職。彼は「スーパーマーケット」と聞いて連想する業務が「品出し」や「レジ打ち」などしか思い浮かばなかったのでしょう。並の知能を持つ学生であれば、理解できたはずです。「大卒」が「大卒」としての給与をもらって「品出し」や「レジ打ち」を「生涯」やり続けるはずはないと。「品出し」や「レジ打ち」をさせるのであれば、人件費が安価な「バイト」や「派遣」にやらせればいい、故に「大卒」としての業務は他にもあると考察できるはずです。幹部候補としての「総合職」採用ですから、ゆくゆくは「仕入れ」「マネジメント」「企画」「立案」「経営」を担うことになると、安易に予想できます。

このように「馬鹿」は表面上の事象しか理解できません。
ですから「馬鹿」に「やりたい事(向いている事)」を考えさせても誤った選択しかできません。

就職活動で軸を定めるためには相手の分析も欠かせません。
軸を決めて終わりではなく採用されなくてはならないからです。
そのため、自分の軸と「マッチ」する企業を選ぶ必要があります。

著者
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誰であれ企業が本当に欲している人物を推測ことは難しい

基本的に企業分析の意義とは、企業が公開している情報を就活生が予習・学習しているかどうか、これら事前に対策ができる人物かを確認するフィルター的な役割が大きいと言えます。
そのため、採用側が「どのような人と働きたいか」とか「どのような能力や性格を欲しているか」これらはブラックボックスであるため、そこをドンピシャで当てることは難しいです。
著者の経験として「ベンチャー企業」を受けた際、そこの企業のキャッチフレーズは「主体性」、しかし、面接やディベートで意見を積極的に主張したら不採用、反対にお堅いイメージがある企業に同じ態度で面接に挑んだら採用、結局のところ企業が求める人材を的確に判断することは難しいと思います。
もちろん、企業分析では過去の内定者の傾向を調査するなどの方法もあります。
しかし、就職活動が苦手な学生は仮に「企業分析」ができたとしてもマッチングに必要な自己の客観視ができないのですから無意味です。マッチングとは、片方の分析だけでなく関連する互いの相性を考慮する必要があります。

著者
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「就職活動で上手くいかない事実があるのに軸探しに専念する」「自己が投じた労力の上にさらに労力を加える」「その手法で失敗したにも関わらず努力が足りないからだと考える」
苦手なことは「やらない」「やり方を変える」などの思考が必要です。
苦手なことをしても、それはできないことなのだから成果は期待できません。マイナスに数字をかけてもマイナスです。

さらに、このような「馬鹿」は「軸」を探しに放浪する傾向があります。
自分探しに行ったきり帰ってこない、気がつけば夏休み。お終い。
何がしたかったのでしょうか?
就職活動とは時間との勝負でもあります。毎年度、五月頃には内定率が五割を超えます。つまり、逆説的に捉えるのであれば有力企業の半分は、五月から六月のうちに募集を終えている計算になります。ですから、選択値を増やすためにも「時間との勝負」なのです。
にも関わらず「自分探し」に放浪する学生は、いつまで経っても旅から帰ってきません。
自分とマッチングする企業にエントリー(就職)するための「軸(自分)探し」ですが、その行動によって自らの選択値を狭めているのです。
まさに「本末転倒」です。
「馬鹿」は「計算」が苦手ですので、現状においての「最適解」を導き出す事ができません。

以上の図から①エントリー(前)段階で考える②内定取得後に考える、どちらが最善の判断であるかを理解してください。
企業と就活生がマッチングできる可能性が低いのであれば、それは確率論と変わりません。対策せずに適当にエントリーする状況と同じです。ならば、多くの企業にエントリーすることが賢い選択であると思いませんか。
私ならば「最終的就職する会社の選択値(候補)は多い方がいいな」と思います。
何時間、何十時間と「軸」を考えたところで「採用」されなければ意味はありません。であれば「内定」後に「軸」を改めて検討した方が賢明です。
「内定」した後であれば心理的・時間的余裕のなかでじっくりと就職する企業を選べます。さらに、内定者向けのイベントを通して企業のことを内定前よりも知る機会があるでしょう。
学生の就職活動をサポート、指導する立場にある方は、馬鹿に単独で「軸探し」をさせないように心掛けましょう。また、内定取得率を上げるために「総当たり攻撃」を行うことが効果的です。(関連)

著者
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自己分析も同じです。
する意味がありません。

ポイント

頭が悪い学生に軸を決めさせても意味がない。
パンを売りたいのに寿司屋がパンを販売していると誤解して就職するような奇怪な行動をとる学生は本当に存在します。たとえが大袈裟ですが…

・企業側(人事)は軸をみる

されど「採用側」は学生の「軸」を見ます。
何故なら「仕事が続く」かを見定めるためです。
ですが、多くの学生が勘違いをしています。
「面接」では「軸」を持つことが大切なのではなく「人事・採用」に「軸」があると「思わせる」ための「演技」が重要なのです。
前述した様に「優秀」な学生は企業とのマッチングを踏まえて、嘘偽りない「軸」をアピールしても良いでしょう。
再三ですが、就職活動で苦難するような学生は「軸」を考えるべきではありません。
しかし「軸」を持っていないのだと烙印を押されたのであれば「お祈りメール」が送られてくるだけです。
さあ、どうしましょう。
私ならば、その場で
「考える」
一択です。
面接では、相手が求めるような「最適解」を「適当」に「考える」そして「答える」だけの作業です。
この作業ができないから就活弱者は苦戦するのでしょう。
それなら「軸」をいっそ統一しましょう。
本来であれば「軸」はエントリーする企業に応じて臨機応変且つ個別具体的に準備(考える)するべきです。しかし「馬鹿」に考えさせても悪循環を生むだけです。そしたら「軸」を「一つ」用意して、全てのエントリー先で、その用意した「軸」を活用しましょう。
例えば「A」という軸を用意したとします。
受験する企業が十社で、それぞれ「a」「b」「c」「d」「e」「A」「B」「C」「D」「E」の軸を持った学生を求めていると仮定します。
この場合「確率論」では「1/10」で内定を取ることができます。
しかし「馬鹿」は思考することによって「軸」をその都度「変更」してしまうのです。
五択の試験でも不明な箇所は全て「3」を選びますよね?ここで、不規則に他の五択を回答すると大抵の場合は間違います。確率論では全て「3」を選ぶ正答率、不規則に回答する正答率は変わりません。しかし、実際には同じ選択肢を回答することで最低限の正答率は必ず担保されます。
この原理と同じです。
さらに「軸」は業界や業種によって「分けて」用意しておくことが大切です。
A業種であれば「A軸」を、B業種であれば「B軸」をアピールするぞ、とパターンを決めておくことで勝率は高まります。A業種を目指す上で「a会社」は「A軸」、「Ã会社」は「B軸」、このように細分化することは勧めません。
公務員などの地方公共団体では「軸」として「やりがい」「社会貢献」を主張するぞ‼︎
民間企業では「軸」として「インセンティブ」「好きな事」を中心にアピールするぞ‼︎

このように、大雑把で良いので「軸」にパターンを決めましょう。

・正社員にならなくてもいい(働き方は様々)

私は学生に問います。

正社員になりたい理由は?

みんな一様に答えます。
「安定しているから」「給料が良いから」
私は思います。
目的が無いのであれば「派遣」や「バイト」でも良いのでは、と。
就職先が見つからない。
いえいえ、仕事を選ぶから見つからないのです。
就職活動で苦戦している「あなた」
今一度考えて下さい。
「正社員」になることだけが「全て」ではありません。
特に「大卒」の学生は「周囲」の環境(同調圧力)から「正社員」になることに固執します。周りと比べて劣っている、恥ずかしい…どうちゃらこうちゃら…一先ず他人の評価などは忘れましょう。
現在の日本では「派遣」や「フリーター」など、様々な働き方があります。
そして、日本に住んでいる限りは「飢え死ぬ」ことは絶対にないです。
仕事も多種多様で社会保障も手厚いです。
このような環境で、無理して働く又は働こうとする必要はないと思います。困ったら生活保護を貰えば良いのです。何も心配はいりません。
ですので「働き方」や「生き方」は「あなた」の「自由」です。
私は、就職活動で苦難する学生に、必ず次の質問をします。

結婚したいか?

このように尋ねます。
「はい」と答えた学生は就職活動に精を出してもらいます。
何故なら、結婚して子供ができた際には、扶養者に対する義務が生じるからです。
私は「親」の責任には「子供」を養うだけの「財力」を持ち合わせているかどうかも含まれていると考えます。故に、結婚する予定や願望がある学生は、一定水準の収入や安定した企業や会社に就職してください。
しかし、生涯に渡って「結婚」しない誓える学生「正社員」に拘る必要は全くないと言えます。今の世の中、一人で生きていく分には「自由」な「働き方」でも何一つ経済的な苦労はしません。
そして何より「仕事」は「辛い」ものです。特に「正社員」は「会社」に縛られます。

毎日が辛くて月給三十万円(正社員)
毎日が楽しく充実して月給十五万円(バイト)
しかも、バイトは週三回勤務。
このような条件ならば、私は(独身なら)バイト生活を選びます。

自分だけで生きていくのであれば「自由」な「働き方」は本当にオススメです。そして、生活に困窮したのであれば「国」が助けてくれます。
日本で自殺が多い理由は貨幣に対する絶対的な信用にあります。自殺する人物の特徴を見てみると、衣食住は確保されているにも関わらず自らの命をちます。生きていけるのに死ぬのです。その理由は、貨幣が人間の感情を支配しているからです。「お金が無ければ」「正社員にならなくては」このような思考は資本主義が精神に浸透している証拠です。
「お金が無ければ生きていけない」これは、資本主義が生み出す幻想だと言えます。
一人で暮らすのであれば、お金は最低限で十分です。
就職活動で苦戦している学生で、将来は絶対に結婚しないと誓える方は「自由」な生き方も検討してください。

・ファーストキャリアの重要性

Fラン大学生就職活動に失敗する学生が口ずさむ言葉があります。
「就職失敗しても「転職」すればいいだろう」
ある意味では正論です。しかし「転職」には「ファーストキャリア」が大きく関わってきます。
そもそも、何故、転職するのでしょうか?
理由は今よりも高待遇の職場を求めようとするからです。
現状よりも給料が良い、環境が良い、社風が良い、これらから転職しようとするのです。
ですが、条件が良い職場とは、それだけ難易度が上がります。そして、求められている人材の質も向上します。
仮に、月給十万円貰っていた人がいたとしましょう。
この人は、給料の安さから転職を考えています。転職希望先は月給三十万円。しかし、転職希望先の企業は月給十万円の人を採用したいと思いますか?
採用者からしたら、所詮十万円程度の仕事を熟すスペックしか持ち合わせていないだろうと判断します。酷な話ですが仕方がありません。ですから、転職するにも、前のキャリアが足枷となるのです。
権威主義的な側面を持つ「転職」を円滑に行うためにはファーストキャリアが重要です。
そして「優秀」ではない学生ほどファーストキャリアには拘るべきです。優秀な人間は肩書きや権威などなくとも、自らの力で現状を打開していきます。しかし、優秀ではない人間は「キャリアがない(権威や肩書きがない)」「能力がない」これらダブルパンチを喰らいます。優秀な人間であれば、肩書きが無くとも能力がある故に成功します。中卒や高卒で成功している方が例として挙げられますが、学歴なども同様です。優秀ではない人間ほど「良い大学」に行くべきです。「下駄を履かせた状態」でようやくフェアな戦いができるのですから、学歴も職歴も、優秀ではない人間こそが、きちんと考えるべきです。
就職に失敗しても「転職」すればいいだろう」このように考えている「あなた」は、残念ながら優秀な類いの人間ではないでしょう。
何故なら、簡単な計算ができないからです。
貴重な新卒採用の機会をみすみす逃そうとする行動から、頭が悪いのだと思います。
新卒採用は中途採用に比べると、大々的に実施されています。つまり、新卒採用でなければ入れない企業や会社が存在するのです。もちろん、中途採用でしか入社できない企業や会社もあります。しかし、相対的に新卒採用と中途採用を比較した際には、圧倒的に新卒採用のほうが「選択の幅」が広くなります。そして「選択の幅」が広いということは、就職する上での「難易度」又は「良好な会社に巡り会える可能性」が大幅に上がります(難易度は下がる)。さらに、中途採用に比べて、就職活動に費やす「労力」も抑えることができて、尚且つ効率性を担保できるのです。
あえて「難易度」が高まる「中途採用」を「新卒採用」を放棄してまで「考えている」ことが「あなた」が「馬鹿」である所以です。何故、自ら厳しい道を歩むのでしょうか?
このような単純な計算(比較)ができないような「あなた」では「転職」も失敗します。「良い職場」を求めて転職しているはすが、気がつけば以前よりも条件(環境や経歴)が悪化している、この悪循環の要因は「あなた」にあるかもしれません。
ですから「ファーストキャリア」が重要となるのです。
では、どのようなファーストキャリアを選ぶべきなのでしょうか?
答えは「権威」なり得る仕事です。
勤めている職種や企業名、会社名を述べたら、あっと驚かれる勤務先は間違いなく権威となるでしょう。

いや、そんな大手から内定もらえんよ

そうでしょうね。だから、このブログを観覧しているのでしょうから。
次に重要となる箇所は「潰しが効く」ファーストキャリアであるかどうかです。
中途採用では既にスキルや技能を有した人材を欲しています。ですから、次(転職)に繋がるスキルや技能を習得できる職場をファーストキャリアとして選択することが良いでしょう。資格が取れる事も重要です。
ファーストキャリアとして就職すべきではない部類(業種)とは「ひたすら同じ作業を熟す」仕事です。また、能力が身に付かず誰でもできる仕事です。誰でもできる仕事では、転職しようと考えても「誰にでもできる」仕事にしか就けません。何故なら「誰でにもできる仕事」しかできない(経験ない)からです。このような、ファーストキャリアで転職活動しても、同じような業務や給料、待遇の組織をたらい回しになる未来しかありません。

バイトでもできるじゃん。
AIでもできるじゃん。 
何も身に付かない。
 このように感じる職場は「転職」する事を前提とした際のファーストキャリアには適しません

・穴場は探せばある

ワイ、Fラン大学生だけど大手企業に入りたい。けど、入れないよな…


いえ、リサーチ不足です。
必ず「穴場」はあります。
特に、社会情勢が変化している時期こそ「穴」は生まれます。
コロナ禍である昨今は「就活難」とも言われていますが、このような情勢だからこそチャンスはあるのです。物事はデメリットもあれば、メリットも生じます。一方が得したら片方が損する。一方が損したら片方が得する。社会とはこのようなところです。
コロナ禍で「飲食業」は大打撃を被りました。つまり、飲食業の脆弱性が露見した故に業界の就職に関する難易度は低下したのです。ならば、飲食業に絞って就職活動をすればいいのです。
「コロナ禍で安定性が無いと露見したのに、わざわざ飲食関係に就職しないよ」
おっしゃる通りです。ですが、その先入観が視野を狭めています。
飲食業が大打撃を被っているからといって、全ての飲食関連企業が赤字というわけではありません。
むしろ、こんな情勢だからこそ利益を出している企業も存在します。
例えばマクドナルドでは、コロナ禍による売上の損失を然程受けていません。
何故なら、テイクアウトの構造がコロナ禍以前から体系化しているからです。夜間などは他の飲食店が店を閉じることで、テイクアウトを実施しているマクドナルドに客が殺到します。
ですから、コロナ禍はチャンスと言えるのです。
本来であれば、入社できないような企業や会社であっても、コロナ禍による風評被害から倍率が落ちているために、採用される可能性があります。
コロナ禍による就職活動はむしろチャンスとして、ポジティブに捉えましょう。
そして、穴場は社会情勢の変化に留まらず、随時探せばあります。
事業規模を拡大した企業や、中途採用から新卒採用に切り替えた企業などは、求人募集サイトへの掲載が遅滞したり、前年度新卒募集がないことから学生が見落としている可能性が高いです。
また、東証に上場「したて」の企業は、多くの学生がその存在を見落としています。そのため、企業の情報を小まめにチェックすることで以外の「穴場」から内定される可能性が生まれます。
大手・上場企業などの優良企業であっても倍率が低い「穴場」は存在するのです。

ぶちゃけFラン大学生でも一部上場企業くらいなら余裕で内定します。

・就活エージェントについて

一人の力では内定取得が難しい学生が、就活エージェントを頼る事は手段の一つとしては良いでしょう。
しかし、就活エージェントの仕組みを理解していない「馬鹿」な学生が非常に多いです。
「無料で求人紹介してくれるから利用する」
このような学生は就活エージェントを慈善事業であると勘違いしているのでしょうか。
そもそも、ハローワークなどの公的機関を除き、慈善事業で就職を斡旋してくれるような機関はありません。
では何故、民間の人材会社が就活生に対して無料で就職支援のサービスを提供しているのか?
「金になる」からです。
あなたの就職支援を行うことで利益が発生するので、無料でサービスを提供しています。
求人紹介のビジネスでは、人材を紹介した企業や会社から紹介料として一定額の料金が紹介元(就活エージェント)の団体に支払われます。
よくよく考えて下さい。
新卒採用で「金」を就活エージェントに支払わなければならないような企業とは、求人募集に「金」を掛けなければ「人材」が集まらないような企業です。
人気がある企業や会社は求人募集に費用を掛けずとも人材が集まります。
極端な言い方をします。
就職活動の市場で「売れ残った学生」と「売れ残った企業」マッチングさせるサービスが就活エージェントです。
もちろん、就活エージェントが紹介する求人が全て「売れ残った企業」とは限りません。しかし、リスク(ブラック企業への求人斡旋等)を含んだサービスを利用しているんだと自覚を持つことが大切です。

・成績悪いけど大丈夫?

結論から述べます。大丈夫です。
私は大学での成績が良かったです。
ですから、大学の成績が就職活動で反映されない事に憤りを感じています。腹立たしい。
エントリーする企業や会社によっては、成績証明書の提示を求められます。選考で成績証明書の提示を求められる企業や会社の割合は、全体の四割程度でしょうか。
提示が必須な企業や会社であっても、然程、影響はありません。
成績が悪い程度で咎められることはないのでご安心を。しかしながら、成績が悪すぎる場合にはデメリットがあるかもしれません。
成績が「普通に悪い」くらいであれば問題はありません。ボーダーは「留年しそう」を基準として考えてください。
ですが、成績は「良い」に越した事はありませんので、きちんと「学問」に励みましょう。

・就活自殺

「誰からも必要とされていない」
だから死のう。
私には、このような気持ちが理解できません
何故なら私は「自分本位」で生きているからです。

他者から必要とされなければ価値がない
他者から必要とされれば価値がある

自分の人生であるのに生命活動の根源を「他者」に委ねていることが不思議でなりません。
私は思います。
他人の「要望」に自分が答える必要があるのかと。
私の生命活動の動力源に「他者」は存在しません。常に「自己」です。
これが「当たり前」です。しかし、現在の日本では自らの根源を、他者に依存させる人間が多いような気がします。
「誰からも必要とされないから死のう」
安直すぎます。
ならば、存在意義を他者から承認されたのであれば生きるのですか。
なぜ、あなたが生きることに他人の承認が必要なんですか?
他者による評価なんてどうでもいいのです。
就職活動で自殺を考えている方は、肩の力を抜き「自分本位」で生きていきましょう。

具体的にどうすればいいの?

はい、お答えします。
まずは[正社員にならなくてもいい(働き方は様々)]をご覧下さい。
就活自殺を考えている学生は、アルバイトをオススメします。ジャンルは派遣や契約社員系のアルバイトです。学生が多く働くアルバイトでは意味がありません。
自殺をする方の要因として、視野が狭いことが挙げられます。特に、高等学校までの教育をきちんと受けてきた学生(家庭環境が良好な学生に多い)は、定められたレールに従って人生を歩みます。ですから「高校までは塾に通い、大学受験では難関大学に合格して、就職先は総合商社」このようなテンプレート以外は知り得ないのです。
その他の生き方を知らないのですから、レールを外れることを「死」として捉えます。
しかし、世の中は案外と「適当」に出来ています。レールから脱線しても生きていけることが分からずに自殺してしまうのは勿体ないです。そして、レールから脱線した方が楽しいことも沢山あります。

そのため「レール以外」の「生き方」を「知る」ためにも「アルバイト」は必須なのです。
私も、学生時代のアルバイトで社会を知ることができました。

「こんな生き方があるんだ」
「こんな働き方があるんだ」
「こんな仕事があるんだ」
「こんな生計の立て方があるんだ」

一歩でも自分が知る世界の外側に踏み出すと、全く新しい世界が広がっています。
あたかも、今の環境における「みんなが歩む道」だけが「全て」の様に見えてしまいますが、あなた見ているその光景は世界の「一部」にしか過ぎません。
ですから、就活自殺を考えている方は視野を広げるために「アルバイト」をしてください。

・なんでこんなこと言っちゃうの集

随時募集中です。
コメント欄にお願いします。
ダメな発言を知ってもらうために、記載します。
①夏期に「内定何社ですか?」と面接官
「一社です」と学生
②公務員の面接で
「民間企業は利益重視でよくない」と発言

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