第一章 警察官に必要な能力 (警察官採用試験対策)合格の秘訣は警察を知ることから

警察関係

第一章
第二章
第三章
第四章

・ はじめに

警察官とは、個人の生命、身体及び財産の保護職務の目的とする地方公務員です。
その目的を遂行するにあたり、警察官には特別な権限が付与されています。
そのため、警察官は「敷居が高いな」・「不透明な部分が多いな」と感じている方も多いと思います。
そして、記事を読んでいる方の大半が「警察官を志している」「警察官に興味がある」といった理由でしょう。
 しかし、警察官を目指すことは職業の不明確さ故にリスクも含まれます。
リスクとは先に述べた通り「不透明」が齎す弊害を意味します。
他の職業においては、ある程度に顕著化された情報から、自己に益がある選択ができます。
しかし、警察官の「特殊」な職務柄、公開される情報は他職業に比べてあまりにも少ないです。
公安職全般に言えることですが、守秘義務等が法によって規制されている以上、民間企業よりも不透明さが多くなることは明確です。また、公安職の根底には、職員の命を担保として組織が機能している側面があります。
例えば、軍隊は他国からの侵略を受けた際に、兵士を防衛の為に戦わせます。当然そこには、命の保証はありません。自衛官・警察官・消防官その他の公安職や保安職も同様です。
極端な例ですが、仮に「命を差し出せ」と国に命じられたのならば躊躇なく命を差し出さなければなりません。
しかし、このような事実を採用側は学生に提示していません。
理由は明白ですよね。
命を担保に職務に従事しようとする人間は少ないからです。このような、根底から偽りざるを得ない公安職・保安職に透明性を求めることは甚だ可笑しいのかもしれません。
そのため、これから就職活動(公安職・保安職の採用試験)にあたる学生は、よく分からない職業の試験を受け、よく分からない職業就くということになります。
しかし「全ての職業においてそうでないか?」と突っ込みを入れる方もいるでしょう。
前述した様に、与えられる情報量が異なります。
もちろん、ケースバイケースにはなりますが。
民間企業において「想像と違った」「自分とは合わない」は、企業研究不足、つまりは自己責任です。
これと同じく、公安職についても自由意思で職業選択をしているのだから、自己責任かと思います。
しかし、大凡の人間は表面上の事象でしか物事の本質が理解できません。
故に、平均的な知能の人間が正しくその職業を理解し、その認識に基づき職業選択ができるように改善されなければなりません。
警察官の採用試験は資格試験同様に、要件を満たせば誰でも合格できます。
だからこそ、警察官になった後に
「イメージと違った」「自分とは合わない」このようにならないためにも、不確定要素払拭しなくてはならないのです。
私は、以上のことを踏まえて[警察官採用試験対策]を、皆さまに向けて記述します。
関連)・社会のシステムをしらない学生

・警察官は誰でもなれます

警察官は誰でもなれます

この言葉、聞いたことはありますか?
予備校講師や採用説明会等でよく担当者が口にしている言葉です。
しかし、その言葉は「嘘」です。
もし、本当であれば倍率そのものが存在しません。
ですが、ある要件を満たせば全員(※1)合格することも確かです。
その要件とは[第三章 不合格には理由がある]で深掘りします。
まず、警察官に求められている能力性格とは「平均的」なものです。
そのため、特別な努力や才能も「なるため」だけなら必要ありません。
そもそも、採用担当者は何故「嘘」を吐くのでしょうか? 
答えは[第一章 はじめに]でも触れていますが、採用担当者が赤裸々に
「警察官は〇◇△な仕事だよ」「〇〇性格が向いてるよ」と、欲しい人材や業務内容を如実に述べていたら受験生が来なくなるからです。
むしろそのほうが本気でなりたい人だけあつまるからいいんじゃない?
と考える方がいるかと思います。
しかし、それでは組織の質を保つことができなくなるのです。
[第一章 「なれる」と「むいている」]で詳細に説明しますが、本気でなりたいと考えている人間が、その目標にする業種の才能を持ち合わせているかどうかは全くの別問題だからです。
ですから、採用陣は学生の気持ちの有無に関係なく優秀の人材(警察官の場合は平均的な人間、つまりは優秀=平均)を集めようとします。どの企業や職種においても優秀な人間を集める方法は一つだけです。それは、学生をたくさん呼ぶことによって実現できます。
十人中から九人を選ぶのと、百人中から九人を選定するのとでは必然的に百人中から九人を選び出した方が、選んだ人材の質が高まる傾向にあります。
また、公務員の倍率が下がることは国家の体裁、威厳や統治力に大きく関係してきます。
公務員の給与・倍率と国家運営の比例関係については大きく内容が逸れるので別の機会でお話致します。
このような理由から、倍率を維持するために採用側は学生に対して耳障りの良い「嘘」を付くのです。
以上より、与えられた情報を取捨選択する力(メディアリテラシー)を培い、採用側の言葉を安請け合いしないことが重要となってきます。

(補足)さらに、警察官に本当に[向いている]人間の定義は、採用担当者も私にも分かりません。 警察官に[向いている]人間は○○だと断定できないからこそ「誰でも」などの曖昧な言い回しをするしかないのです。


(※1)犯罪歴や身辺調査、身体的特徴から不採用となる場合もある

・ 自身の性格を理解する

どの職種においても言えることです。
自身の性格や能力を客観的自己分析できない人間は何をしても失敗します。

理由は単純明快です。
主観的な人間は、全ての事象を己の価値基準の中に取り組みそこで完結させます。
そのため、いつまで経っても第一に「自分」が来ます。
自分が「思うことは絶対だ」と断定して、客観的に物事を考察できないのです。
また、彼らの見る世界は単純で「嫌い」と「好き」の二元的な捉え方に世界が集約されています。
つまり、自分が「やりたいこと」や「好きなこと」必然的に得意であり「やりたくないこと」「苦手なこと」不得意且つその存在自体が忌まわしい脳内で整理されているのです。
このような、主観的な人間はよく「過剰評価」を行います。
そのため、実際の能力と自身の立ち振る舞いに「差異」が生じていき、ゆくゆくは社会が求める「ボーダー」を満たせずに埋もれていくのです。
社会に出れば「私はこう思う」や「私はこうしたい」は通用しません。

社会に出たらまず第一に「相手」です。
自分の行った行為がどのようにして相手(会社)の利益へと還元されるのか、これが重要です。
しかし、自身の欲望や思いを排斥してまで社会に貢献したいとは誰も考えませんよね。
でしたら、反対に自分の考えや欲望が思い通りに叶う職場に行けば良いのです。

「?」を頭に浮かべた読者の顔が想像できます

難しい話ではありません。
先程から述べているように、条件は「相手(社会や会社)の利益となる」が前提です。
条件を踏まえて相手が求める利益のベクトル自分が提供できる能力ベクトルの方向が一致すれば良いのです。
つまりは「自分が行っている仕事は得意で楽しい、ついでに相手にも貢献ができる仕事」が本人にとっても相手にとってもベストな状態です。
自分が得意で能力が発揮できる仕事では自身の考えや思いを周囲に通すことができます。
なぜなら、自分の行為(仕事)の過程において「考えや思考」が間接的に利益へと還元されるからです。
これらから、大抵の人間はプロセスを間違えているといえます。
自分が「やりたい」とする仕事、そして相手が求めている「人材」これらに因果関係はありません。
さらに、「やりたい仕事」をするために「我慢」や「同調」によって利益を生み出そうとする人間がいます。非常に非効率です。
このような弊害を避けるためには、周囲に合わせるのではなく、自分にあった環境を探すことが自身の幸福に繋がります。
そのためにも、まずは自分がどのような性格なのか?なにに向いているのか?なにが得意なのか?を客観視に見極める必要があるのです。
単に、なりたいから警察官になるでは将来失敗することになります。
[なりたい]と[むいている]を混同しないようにしましょう。
関連)・軸探しの危険性

・警察官適性(職業適性)

警察官に限らず、職業適性とは[能力+性格]からなるものです。
職業適性に関する説明は以下を参照ください。

・警察官に必要な能力

[警察官適性(職業適性)]で説明した通り、適性とは「能力」と「性格」からなるものです。そこで疑問が生じます。
警察業務では、能力と性格のどちらが重要視されるのか?
確証を持って断言することはできません。
ですが、能力と性格の両適性が高いに越した事はありません。
それ故に、警察官に必要な能力と性格を、順を追って解説していきます。

あくまで自論です。普遍的な適性、すなわち天職は神のみぞ知ります。
本当の意味(誰しもが例外なく当てはまる定義)で向いている(必要な能力)かどうかは誰にも分かりません。

警察官に必要な能力、それは客観性」と「論理です。
具体的には、コミニュケーションにおいて客観的に物事を理解(把握)し論理的に事態の収集及び解決をはかる能力です。
例えば、警察官が喧嘩している二人の仲裁に入る場面を考えてみてください。
喧嘩している双方が異なる意見を述べている際には、互いを宥め折衷案を持ちかけるのが妥当です。そのためには、現場の状況や当事者の発言から客観的に事態を把握して、解決策を提示する必要があります。
これには、相手の意見と、自分の考えとを比較検討し、結論を導き出すしかありません。
ですから、的確な状況判断をするためにも客観性は重要です。
次に、論理性の重要性を簡単に説明しましょう。
論理性は数学における方程式に置き換えられます。一つの方程式一人の意見だと仮定しましょう。

 x(主観)+y(客観)=z(結論) 

はじめに、自分の感覚に基づいた「主観」が発生します(かっこいいや美味しいなど)
何故なら、人間の思考は主観が先行するからです。
不思議なことに、合理性や効率性よりも感情に基づく主観が先に存在し、後付けとして理由(理屈)を作るのです。
恋愛においても、この人はこの箇所が優れいるから好きになろうではなく、好きになってから理由を探るものなのです。
理由(理屈)の発生は次の段階です。
主観を証明し、これを論理化することで初めて客観的な意見となって結論へと繋がります。
先程の、警察官による仲裁の話を取り上げるのならば、意見を持つ人間は複数存在することになります。
つまり「x(主観)+y(客観)=z(結論)」も人数に比例して存在するのです。
「x+y=z」この方程式が二つあったと仮定します。
この場合には通常、連立方程式を展開するかと思います。
コミニュケーションにおいての「x(主観)+y(客観)=z(結論)」同様です。
互いの意見を尊重し連立し合うことで初めて妥協案や折衷案を提示できるのです。

Z(結論)だけ述べても、相手に正しい意見は伝わりません
連立方程式が =zと=zを合わせても解が得られないように、なぜ?どうして?といったx(主観)+y(客観)論理化し説明することが重要なのです。
結論だけを押し付けるコミュニケーションでは、罵声やヘイトスピーチと変わりません。「おまえ馬鹿」「おまえも馬鹿」では子供の喧嘩です。
そこで、主観を肉付けすることによって、それは客観となり一つの論理(意見)となるのです。これは、哲学における弁証法を彷彿とさせますが…、このような正しい討論を展開するためにも論理能力は必要なのです。
世の中には、結論のみを簡潔に聞きたがる人間が多くいます。しかし「結論を簡潔に述べる」とは「客観」のリソース配分を減らしてるに過ぎません。丁寧に、上手に、物事を伝達する能力と、簡潔に述べること(結論のみ)では意味が違います。たしかに、莫大な情報量を分かりやすく要約して相手に伝えられるスキルは希少です。このことを「簡潔に述べる」と定義しているのであれば問題はありませんが。
コミュニケーションにおいて、聞き手よりも話し手は高度な技量を要求されます。何故なら、相手の理解力や認識力が不明瞭だからです。例えば、大人や子供といった能力値(知能)が異なる対象には、必然的に説明(同じ物事に関する)に費やす時間も変わってきます。なにも、大人や子供のジャンルに拘らず人間には個体差があります。ですので、相手の不明確な領域を考慮して会話をすると、自然と「客観」に費やすリソース配分の割合は増加するのです。
つまり「結論だけ述べろ」とは、自身の理解・認識能力を相手に期待(分かっているだろう)する行為、又はコミュニケーションの放棄を相手(話し手)に促しているようなものです。もちろん、結論だけを述べる事が望ましい場合もありますが、それでもx(主観)+y(客観)=z(結論)の構図は覚えておいても損はないかと思います。
論理能力の必要性喧嘩の仲裁限った話ではありません
違反キップはたまた職務質問で「なぜ俺だけ?」「他の人もやってるだろ?」などと言われます。そこで、適切な説明を行い相手の理解を得るためにも論理能力は大切なのです。
論理とは「私」と「あなた」が互いに分かり合う(意思疎通)ためのいわばツールです。
そして、論理能力の必要性はコミニュケーション以外においても重要となってきます。
特に、公務員はに基づき職務を遂行します。そのため、個人の感情に基づく主観は排斥しなければなりません。
法に基づき、そして国家意思の代弁者として職務を全うすることが警察官の役目です。
これを実現するためにも論理能力は欠かせません。
「◯◯の法律の元◇◇を行い△△を□□します」この一連の流れは論理そのものです。
法律を適用し、職務のために正しく使うためにもやはり論理能力は必要なのです。
(以下関連)

・警察官に適している性格

次に性格です。
警察官において大切となる性格は「能力を最大限に活かせる性格」であるかです。
仮に、警察官に適した能力を保持していても周りの抑圧や威圧に耐えられずに能力を正常に発揮できないのでは意味はありません。
特に警察組織ではそのような風潮が未だに残っています。
前述で述べたように、社会に貢献することは大切です。
しかし、それ以上に自分が幸福でなければなりません。能力が発揮出来ないということは「苦手」なのと変わりません。出来ないことは例え「好きなこと」であってもやがて「嫌い」に変わっていきます。それでは本末転倒です。能力が正しく発揮されその職種に向いているからこそ仕事が楽しくなりさらにパフォーマンスが向上する、そして最終的には公共の福祉へと還元されるのです。そのため、能力が正常に活かせる職業を選ぶことが重要なのです。

・警察官に忍耐力や持続力は必要?

警察官の採用面接において自身の長所が、忍耐力や持続力・継続力と答える方が多いかと思います。
[第三章 警察官採用試験]でも触れますが決して悪い解答ではありません
むしろ「なれる」に着目した場合にはパーフェクトな回答と言えます。
個人的には「抽象的且つ根性論による憶測にしかすぎないのでは?」と疑問視しています。
理由は単純です。
人間は「好き且つ得意」二つの要素満たした状況なら誰でも忍耐力・持続力発揮することができるからです。忍耐力や持続力を主張する方の例えとして「自分は3年間部活で野球をしていたので忍耐力があります」と定型文の如く述べる方がいます。しかし実際には授業の出席率が低く成績も悪い、なんてことはよくあります。これは本人からしたら努力と捉えるのだと思いますが、実際のところは得意で好きなことをやっていたにすぎません。本当の意味での忍耐力・持続力とは嫌いで苦手なことをどれだけやり込んだか、で判断されなければならないのです。これでは、ゲームを好きなだけ集中してプレイしていたので自分は忍耐力・持続力があります、と述べているのとなんら変わりません。部活は嫌なら辞めればよく、スポーツ推薦などよっぽどの理由がない限りはみんな好きで活動しているのです。部活を継続するということはそれが能力的に出来るからであり、出来るは好きに繋がります。好きだが得意ではないものは必然的に嫌いとなり、反対に得意で嫌いなものは自然と好きになるものです。そして、人間は得意で出来てしまうことは思考の有無なくして行ってしまうのです。
警察官の採用面接に限らず、様々な入社採用面接において忍耐力・持続力が今もなお模範例として使用されているのが不思議に思います。
それよりも、誰しもが持つ当たり前の能力(忍耐力・持続力)を最大限活かせる職場(自分の出来ること得意なこと)を見極め、面接時に自分のポテンシャルから会社や社会にどれだけ利益又は貢献ができるかを述べた方が双方にとっても合理的であるかと思います。
「私は〜部〜活動〜力があり〜努力してきた」これでは主観的です。
就職面接において相手は「君を雇う利益は?」と尋ねてきます。そこで上記のような解では答えにすらなっていません。あくまで、判断基準は損得であり、そこに感情論や根性論は存在しません。
私はもちろん部活を否定するつもりはありません。部活での活動は協調性を始めとしたコミニュケーション能力の証明でもあり、また部活での経験は様々な場面で役に立つかと思います。しかし「〜部で活動した為に忍耐力・持続力があります」と「〜社でも忍耐力・持続力を発揮できます」には関連性が無いため、自分が行ってきた活動による忍耐力・持続力がどう社会(会社や企業)に役立つのかをきちんと説明をする必要があります。
そのためには、相手と自分の相性を正しく見極めることが大切なのです。
関連)就職活動の手引書 失敗の要因はあなたにある

・警察官に協調性は必要?

「持続力」や「忍耐力」と同じく「協調性」を採用面接の際に学生は挙って主張します。
それでは本当に「協調性」は必要なのでしょうか?
その答えはYESでもありNOでもあります。
警察組織のような縦社会では個人の意見や個性を封じた代償として迅速且つ円滑な組織運用を可能としています。
そして、常に危険と隣合わせの職業である警察官は指揮系統の統率が重要となり、これは緊急時の対応には欠かせません。民主主義国家に比べて、君主制国家が緊急事の対応が迅速な現象は警察組織によく似ています。君主制国家は国家運用の観点から社会主義制度による統率を行なっているケースが多く、これは、各々の政治的な干渉や意見を排斥した代わりに迅速な対応が可能となるメリットもあります。
警察組織も同様に、各警察職員の意見や個性を排斥した代わりに迅速な行政活動が遂行できるのです。
そのため、「協調性」に富んだ空気を読める人間が、このような組織を支える構成員に不可欠となります。
以上より、警察官には、個性(協調性がない人材)は必要ないと言えるのです。
ですが、反対に自分の意見を突き通す性格も警察官において大切です。
例えば、犯罪を犯した人間が幾ら懇願しようが警察官は見逃す事は決して出来ませんよね。他にも職務質問や犯人と対峙した際に相手に臆する事なく立ち向かい意見を主張する必要があります。
ここで皆様は「協調性があり意見を述べらる人もいるんじゃないの?」と思うかもしれませんが、そんな人間はどこにも存在しません。何故なら、自分の意見を述べるということは、敵を作ることだからです。少なくとも私は「協調性があって意見をはっきり述べらる人間」をみたことがありません。
また協調性の対義語として排他性や非妥協性が挙げられますが、これもまた矛盾をきたす言い回しです。何故なら、排他的な性格を有するに至った成立過程には必ず自己を正当化し得る根拠や論理力を内包していなければならず、反対に、協調性を獲得した人間は自己の防衛機制のために闘争本能による論理力を犠牲にしているからです。協調性とは、防衛機制の副産物であることから周囲との共存を担保に己の保身を約束されたこで発現される性質なのです。
つまり、協調性=妥協性(逆説)とは能力的な観点から生得的に共存し得ないのです。
これらから「協調性を持ち且つ意見を述べらる人間」が存在し得ないことが証明されたわけですが、それと同時に警察官はこの相反する二つの性格が必要だということも、これらの説明で理解できたかと思います。

・協調性のパラドックス

[第一章 警察官に協調性は必要?]では「協調性」があるが故に生じる弊害を説明してきました。ここではさらに「協調性」に潜む危険性を指摘していきます。
「いじめ」という言葉を知っているかと思います
では、この「いじめ」は何故発生するのでしょうか? 
理由は簡単です。誰も止めないからです。そもそも「いじめ」が発生した瞬間に周囲がいじめを行っている加害者に対して制裁を加えれば誰もいじめをしようとは思いません。
「いじめ」が発生する要因はこんなにも明白で単純な問題ではないのかもしれません。
しかし、原因の一つであることは確かです。
そしてこの悪質極まりない「いじめ」を黙認することも残念ながら協調性に含まれます。
皆様は、このように「協調性」がある人間が警察官に適していると思いますか?
例えを変えましょう。
私の友人は、警察官を志していました。
そんな彼は規則をしっかりと守る好青年です。
しかし、ある時期にタバコを吸っている友人とつるむようになりました。
彼らは皆んな未成年です。
今までは「未成年でタバコはけしからん‼︎」と話していたのですが、彼らと仲良くしている内に「タバコくらいよくね?」と主張を変えたのです。
そんな彼ですが、誰からも慕われていて「協調性」があります。
果たして彼は警察官に向いているのでしょうか…?
これらのことから日本人特有の同調圧力に流されない「信念」が必要となるのも警察官という職種の特徴です。ですが「協調性」があり自分の「信念」を持ち「意見」をきちんと述べる事の出来る人間はこのように存在しません。
たしかに、人間は役割を与えたら熟す特性(制服効果やスタンフォード実験等より)を持っています。
しかし、協調性に富んだ人間が、例のような悪い誘惑に誘われたとしたらどうなるでしょう。
このような場合、警察官にそぐわない行動や違法行為を行なってしまう可能性は十分にあります。
かといって「協調性」が欠けた「意見を貫き通す」人間ばかりを集めたところで警察組織は立ち行かなくなります。
さて、このパラドックスを解決するためにはどうすれば良いのでしょうか。
この二項対立を解決する手段としてマキャヴェッリの「君主論」を引用しましょう。
この君主論によると、国家運用の基本として「ライオンのような勇猛さ狐のような狡猾さ…」と例えらています。
簡潔に説明すると飴と鞭の定義です。
つまり「相対する二者が均衡をとり合うことで物事は上手くいく」とする考え方です。
警察組織も同様に「協調性がある者」と「協調性がない者」が相互監視し律し合うことで迅速な統制及び正義の追求を実現する事が可能になっていると考察しています。
結論として「協調性が高い人間」も「協調性に欠ける人間」もその両方が必要なのです。
(以下関連)

・警察官にリーダーシップは必要?

面接講座でリーダーシップの有用性を講師の方が熱心に説明してる光景を目にしますが、はっきりと言って「論外」です。
全てにおいて、悪い訳ではありません。
今回は、警察官面接(公務員)に重きを置いているためにそう言わざるを得ないのです。
この、リーダーシップの是非は「公務員」という組織を研究すれば自ずと結論に行き着くはずです。
リーダーシップとは「協調性」の対概念と同じく「意見を述べらる」性格の持ち主でなければその資質は開花しません。
当然ですよね? 
何故ならリーダーとは「皆んな」の先頭に立たなければならないからです。そのためには「皆んな」と同じではいけません。「皆んな」がなにかを成す前に「意見を述べ」その「皆んな」をアジテートしなければリーダーと呼ばれる存在にはなり得ません。
警察官においては[第一章 協調性のパラドックス]で述べたように「協調性」と「非協調性」互いに均衡を取り合うことが良いとしましたが、他の公務員(一般職)では、構造がそれとは異なります。例えばアパレル業界などでは新たな商品を売り出すためには「想像」が欠かせません。この「想像」を活発に展開する過程において「意見を述べる」はとても大切です。ですので、アパレル業界に限らず「想像」や「意見」を必要とされる職種の面接においてブレインストーミングがよく活用されるのです。そしてブレインストーミングを頻繁に行う業界を構成している人間のほとんどが「活発的」な性格の持ち主から成り立っています。
ですが「公務員」に「活発性」は必要でしょうか?
「公務員」は新たに何かを生み出さなければならない職業ですか?
そんなものはいりません。
日本の行政は消極的且つ「保守的」です。この行政の「保守化」についての説明は省きますが、あくまで公務員は「現状維持」が役目なのです※。
これと同じく警察官もリーダーシップのある人材を欲していません。理由は上記(公務員一般職)とは異なり非常にシンプルです。それは人数です。全ての縦社会で共通する事ですが「下の身分」と「上の身分」では当然「下の身分」の方が人数が多くなります。
軍隊の階級で表してみましょう。
大佐が100人に対して二等兵が1人では組織が成り立ちません。リーダーである大佐1人に対して、強調的な二等兵100人であれば、組織は機能します。
厳密には、警察組織においてはリーダーシップが取れる人間は必要です。しかし比率として「尽くされる人間」と「尽す人間」では「尽す人間」が多いことを踏まえれば「他者を支え補佐することが得意」とする人間が可愛がられることは明白であると言えるのです。

※近年、地方行政では人口減少、少子化などの様々な問題に直面している。そのため立案力や課題解決力、つまり、積極的に意見を述べられる人材を欲している行政も増加傾向にある。

・ 正義感について

まず正義感を語る上欠かせないことがあります。
それは、正義とは「何か?」を定義しなければいけないとのことです。
正義とは何をもって断定されるのでしょうか。
正義の条件とは、ルソーによる一般意思を踏襲した考え方に由来します。
一般意思とは公共の利益を追求する上で誰しもが共通した理解や認知が普遍的に存在すると仮定した際の価値観や道徳・真理を指します。しかしながら、万人に共通する価値観は存在しません。そのため「誰しも」が一時に抱く平均的な価値観を常識やモラルとして社会的に位置付けているのです。
そして、人間の価値基準から生み出される「正義」にも普遍的な意味はありません。
これらから、正義とは流動的であるといえます。
加えて、このような流動的な事象を理解する上では正義の概念を構成している周囲の分析が不可欠になります。
ですが、正義の概念を構成している人間の価値観を事細かく分析していたら際限がありません。
ですので、正義とは「法律」である割り切ることが一番です。
何故なら、法律は公に認められた慣習から成り立っているからです。また、公務員は法律を遵守し、それを実践していく先駆者としての役割も持ちます。
故に、国家機関(公務員)は法律が大好きです。
この事から、もし公務員採用試験で正義について問われたのならば法律に基づいた議論を展開することが正解です。そして、これらが正義についての大凡となりますが、これだけでは正義感とは何かの疑問を晴らす事は出来ません。何故なら、正義感とは、これに基づいた正義を行動に移す必要があるからです。
そのため、正義感を自身に内包しているだけでは正義感が強いとは言えないのです。
それでは具体的にどのようなタイプの人間が正義感が強いのでしょうか。まず、正義とは悪を犠牲にすることで成り立ちます。つまり正義を行使した瞬間に不快になる人間が発生してしまうのです。これらから決して正義感と協調性は相入れません。
他者の犠牲を理解した上で正義を行使できる者こそが正義感に長けているのです。
悲しいことに、正義感が強い人間は嫌われます。反対に皆から慕われて協調性が高い人間は、正義感を自身に内包していてもそれを発揮することができません。そのため、正義感に欠ける人間は採用試験では合格します。しかし、本質的に正義感が強い人間は採用試験では落ちてしまうのです。
警察組織が欲している人材は「リスクなき」「普通」の人間です。ですので「正義感」に頼り過ぎては警察官採用試験で失敗する可能性が高いのです。

正義感は警察官には欠かせない。そのため、正義感がある人間は警察官に向いているかもしれない。しかし、正義感が強い人間は他者から疎外されるので、採用試験では評価されないことも。

・「なれる」と「むいている」

皆さんは「やりたい」と感じたことを目標に、次は「なれる」を検討していませんか。
また、大半の人間は「なれる」と「むいている」を混同して考えています。
そのため「なれる」と「むいている」の事実誤認から生じたズレにより苦しむことになるのです。

勘違いしないで欲しい点

それは、企業や会社側(公務員含)が欲している人材が「むいている」ではないことです。
[第一章 自身の性格を理解する]で、私は「第一に相手」と述べました。
しかし、当の相手側どうでしょうか?
残念なことに「あなた」を見てはいません。相手側が「あなた」をみているとするのならばそれは「能力」だけです。
[第一章 警察官適性(職業適性)]職業適性とは[能力+性格]であると述べましたが、実際に相手が見ている箇所は「能力」だけなのです
例え「性格」を見ていたとするのならば、それは、企業や会社にとってあなたの「性格」が「害」であるか否かの二択でしかないのです。
企業や会社が適さない「性格」の者を採用してしまった場合には、トップダウンで押さえ付ければ万事解決です。しかし「能力」が低く利益を生まない被雇用者を雇ってしまった時にはどうすることもできずその損失は計り知れません。
つまり[能力+性格=適性]の方程式はあくまで選ぶ側(自分)にとっての総合適性評価です。
そして、相手側の評価基準とは[能力+(害)or(無害)=適性]でありこれが「なれる」です。
「なれる」とは雇用主の都合の良い道具を意味「むいている」とは雇用主と被雇用者が共に利益を享受できる関係性を意味します。理不尽ではありますが労働者は一方通行でしかないのです。

このように「なれる」を基準に職業を選択することは非常に危険なことです。
そこに「あなた」の「幸せ」は計算されていません。
前述で私は「出来る」は「好き」に変わると述べました。
ここで示す「出来る」とは「能力」のことです。

雇用主が「能力」のみで選んだとしても「得意(能力がある)」故に「好き」に変わるのでは?


記事を熟読してくださっている読者ならば、疑問に感じるでしょう。
しかし[第一章 警察官に適している性格]でも解説した様に、自己のポテンシャルを発揮できる環境でなければ「できる」は「出来ない」ことと何ら変わりはありません。
そして、この自己のポテンシャルを発揮できる環境を選び抜くためには[能力+性格=適性]の方程式が不可欠なのです。
それぞれの職種に適した「性格」の典型例はある程度存在しています。この構造を理解し、企業が片思いに求めている「性格」ではなく、本質的に自分が輝ける「環境」を見定め、そこに身を置く事こそが大切になってきます。
どのような「性格」が(とある)業種で働く上で「社会に貢献(相手が求めている)且つ自分も輝ける(幸せ)のか」この、二者間の異なる立場を把握することから初めてみましょう。

※ (例外)「性格」が重視されるような職種では採用試験時に「性格」もきちんと考慮されます。
※ 相手(企業や会社)があなたの性格を見ていない理由は業務負担が大きいからです。あなた以外に数百数千の学生を見ます。その上で一人一人の性格を詳細に精査する時間も費用もありません。故に「害」か「無害」の二極化に性格を分類せざるを得ないのです。あくまで相手は無意識且つ悪意はありません。

・成功する人間のトリック

[第一章 「なれる」と「むいている」]では、雇用者と被雇用者が適性とする基準「なれる」「むいている」を説明してきました。
では、具体的にどのような対策を行えばよいのでしょうか。
まずは以下のプロセスに着目してください。

(むいてる)→(なれるかどうか)

この工程から分かることは、成功する人間は、一般的なプロセスを逆算してライフプランを確立するということです。
「なれる」と「むいている」を混同させている人間は職につき、初めて自分が「むいている」かどうかを判断できます。
しかし、あらかじめ自己分析や入念な準備を行う事で自身の適性が相手側との相性とマッチするかを把握することができます。
そこで、「なれる」ではなく「むいている」職種に舵をきれる人間が成功するのです。
一般的には。
これには落とし穴があります。
何故なら、警察などの公務員は例外だからです。
「なれる」とは相手が一方的に求めている基準です。「むいている」とは双方の要求が満たされる基準です。
「なれる」とは相手が求めている人材、つまりは評価の対象となります。
「むいている」人物であっても「なれる」人材が可愛がられて出世します。
これには、警察の組織の性質が大きく関わってきます。
「むいている」が正当に評価される社会とは、成果や実力が具現化される職場に限ります。

ですが、警察では、能力云々よりも性格が重要に感じます。何故なら「誰でもできる仕事」だからです。さらには、仕事のフィードバックが数値化された情報によって反映されることはありません。そのため、能力を排斥した性格の評価でポテンシャルが決定されると言っても過言ではありません。「むいている」との認識は、能力が自己及び他者によって承認された上で、性格的な適性条件(環境)を満たした際の概念です。本質的に「むいている」からと言って、成果や実力が評価されないのであれば「なれる」と同義の意味となります。
警察では「扱い易い人材」が重宝されます。そして、素直に命令に従う「扱い易い人材」が採用試験では合格します。ですから「なれる」人材とは「扱い易い馬鹿」を指します。また、能力が客観的なエビデンスによって裏付けられないとなると、仕事に対する評価が「性格」のみに留まるのです。となると、警察においては「なれる」と「むいている」は同義なのでしょうか。
警察では、物事に疑問を持たずに素直に上司に従う人間は、評価されます。そうすると、本人は、馬鹿ですので幸せです。
内容が紆余曲折してしまいました。
結局の所、市民にサービスを提供する上で、求められている適性を「むいている」とするのであれば、客観性や論理性は欠かせません。その結果として、成果や実力が正常に評価されるのであれば「むいている」であろう人材は、自身の幸福、さらには社会貢献にも寄与できるでしょう。ですが「なれる」人材が、職務の本質において、市民サービスよりも、組織維持に貢献した名目で評価されるのであれば「むいている」とする概念と対比する意義が失われます。
ですから、自身の職務をフィールドバックする存在によって、求められている又は評価されるであろう項目に違いが生じるため、一律に「むいている」と「なれる」を異なる意味として、断定することはできません。

・公務員の本質

ここで一区切り、歴史を振り返りましょう。
時は飛鳥時代にまで遡ります。
当時、聖徳太子は役人の心得を記した「十七条憲法」を制定しました。
「十七条憲法」とは、名の通り十七の条文からなる規範です。
さて、この規範の六条を見ていきましょう。

「こびへつらい欺く者は、国家を覆す恐ろしい武器となり、自民を滅ぼす鋭い剣ともなる(現代語訳)

私が好きな条文です

こびへつらう者は自分の意思が弱いため、自己が有利となる勢力に就き、すぐに裏切る、このように述べています。
そして、この戒めは現在の官僚制にも通ずるものがあるように感じます。
私は、第一章で「適性」を中心に、説明して参りました。
そこで「なれる」では、協調性があるが意思が弱く、能力値が低いと述べました。加えて「むいている」では、意思が強く、自分と組織との相互関係に益を齎す存在であると説明しました。
しかし、現在の官僚制では組織運用や指揮系統の迅速性を促進するために「なれる」を重視した採用基準を設けています。もちろん、この採用基準は致し方ないことです。
あくまで「なれる」人材の起用は、官僚制の仕組みを維持する役回りに過ぎません。
本来、公務員とは国のため、強いては国民のための存在です。そのため、如何にして国民に公的サービスを還元できるのか、ここに目的はあります。手段たる官僚制の維持、すなわち「なれる」人材の起用、もちろん重要です。
ですが「十七条憲法」に習った、幅広い人材の採用、さらに「むいている」人材を積極的に取り入れる枠組みを制定すべきと、私は考えます。
内容が逸れました。
ここで「十七条憲法」を逆説的に捉えてみましょう。
そうすると、自己を貫く者は意思が強く忠誠心がある、とも解釈できます。
この「十七条憲法」は役人の心得を記した規範です。
そのため、このような人材が役人に「むいているんだ」とのアドバイスでもあります。
まさに、国家の規範や仕えるべく官吏の適正について記された「十七条憲法」は、現在の公務員が見習うべき本質であると言えるのです。
さらに、協調性についても触れていきましょう。これは、六条の「こびへつらう」と同義の意味として捉えることができます。
現在でも「こびへつらう」官吏が、不正や違反を黙認・加担する状況は十分に考えられます。 
このように、千年以上も前の規範ですら、官吏、つまり、公務員の適正について述べらていたのです。
未来に生きる我々は、先人達が残した教訓を見習うべきです。

・警察官の適性(まとめ)

[第一章]を整理すると以下のようにまとめられます。

前述したように、官僚制では、組織の統率が肝となります。
そのため、警察としては「なれる」であるB区分の人材を多く採用したい、つまりは「能力+性格」の方程式において、能力は然程重要ではないと言えます。
A区分が警察官に「むいている」B区分「なれる」と整理できます。
警察官の職に就くためには「なれる」であるB区分が適します。
[第一章 ・警察官に必要な能力]では、「能力」と「性格」のどちらが重要視されるのか、有耶無耶にしました。
図を見る限り警察官採用試験では、「能力」よりも「性格」を重要視すると推察できます。
[第一章 「なれる」と「むいている」]でも補足した[(例外)]に含まれてしまいますが、警察官になるためだけならば「能力」よりも「性格」が大切なのではないでしょうか。
しかし、これらの場合でも「なれる」と「むいている」ズレによる弊害が生じます。
何故なら「性格」に重きを置くことは「能力」を軽視することになるからです。
つまり[第一章 「なれる」と「むいている」]の転回的な考えです。

このように、警察官の場合は「能力」のズレ落とし穴となるのです。
相手と自分の「能力」と「性格」これら適性を正しく理解しない限りは「むいている」職業には出会えないでしょう。

何故「能力」にズレが生じるといけないのか?

個人の「幸福」を実現する上で能力値が高いほうが良いからです。
相手(警察側)が求めている「能力」(なれる)と、本来警察官になる上で必要な「能力」(むいている)の基準は異なります。
何度も説明しているように「相手」が求めているボーダーラインとは、自己(警察組織)「利益」になるかを基準として定めています。
そこに「あなた」の「利益」はありません。
そして、警察官に求められている「能力」は低めに設定されています。
[第一章 警察官に協調性は必要?]でも触れましたが、円滑な組織運用を行うためには協調性を備えている人間の存在が不可欠です。
協調性が高い人間は、自身の防衛規制の為に思考を譲渡し、論理性や客観性を放棄した産物として発現する素質です。
ですので、協調性がある人間が警察官に必要な「能力」(論理性や客観性)が備わっているはずがありません。
つまりは、思考を放棄した、どんな命令にでも迷わず遂行する「馬鹿」が警察組織には欠かせません。
しかし「馬鹿」も人間です。感情があります。
そして「能力」が低い故の弊害は必ず発生します。
「昇給できない」「職務を遂行できない」これらの感情から、やがて警察官の仕事が「嫌い」に変わっていくのです。
もちろん、警察官の仕事は「誰でも」できます。そのため、能力が低かろうと、気持ちさえあれば評価に繋がります。
自身の功績や成果に対する客観的なフィールドバックが得られない仕組みは公務員の特徴と言えます。このような環境では、抽象的な判断材料から人間を評価します。すなわち、性格です。目に見えない「感情」「雰囲気」「やる気」「熱意」これらは人の価値を測る指標です。
警察では、能力よりも性格に基づいたフィールドバックが成されます。これらの内容は[第一章 成功する人間のトリック]でも取り上げました。
ですが、フィールドバックされる判断材料が「性格」のみとは限りません。
実際の実績や成果が評価されないことから、職務に関する能力が不要であるとまでは言い切れないと思います。
「塵も積もれば山となる」この言葉が示すように、警察官に必要な能力が高ければ、ゆくゆくは時間をかけて評価されるはずです。
最初は、表面だけの人間が評価されます。
警察の職務では、個人の能力(実績や成果)を測る術がないことから、性格(素直や真面目)や気持ち(前向きや明るさ)で組織への貢献値を定めます。ですが、職務を積みさねていく中で「むいてない」ことに対する歪みは次第に肥大化します。
能力が高ければ、評価されずとも仕事は「得意」ですので、勤続年数を重ねていくごとに「好き」に結びつき、さらには「気持ち」も「前向き」になります。ですから、将来的な評価に繋がるのです。
性格で評価される警察組織であっても、時間の経過と共に鍍金は剥がれ落ちていきます。
能力が低いのであれば、日々の公務の積み重ねで、徐々に「できない」ことに対するストレスと、些細な評価の堆積によって、内外的な要因を含む弊害が生じていくのです。
時間の経過と共に自己に対する評価材料が変動していく現象については[就活・企業や会社の選び方]に詳しく解説しています。
能力がなくとも、評価されずとも、警察にとって「馬鹿」は有益な存在です。
一般論で言うならば、評価=有益性です。
ですが、公務員は利益を求めていません。強いて言うのであれば、評価されない馬鹿も組織を維持管理するためならば必要な存在なのです。
故に「仕える素質」を持った人間の恩恵によって官僚制は機能するのです。
さらに、警察は行政機関です。法的に解釈しても立法的(制度を考える事=思考)な作用は必要ありません。

私は「下」がいるから「上」がいる、この原理を理解しています。
この「上」と「下」の表現はあくまで知能の優劣を示したに過ぎず、人間の価値を定義したのではありません。
官僚制問わず、人間社会には階級があって、優劣が生じてしまう原理は致し方ありません。
でしたら、現状を認識して「上」を目指せる環境又はその努力をすれば良いのです。
ここからは個人的な見解となります。
「幸せ」な職場とは自身の「能力」が正常に発揮でき相手にも正当な「評価」を下してもらえる環境であると考えています。自身の「幸せ」を獲得するためにも「自分が輝ける環境」に身を置くことが大切です。
職業選びでは「むいている」を考え、警察官の試験に受かるためには「なれる」を演じることが成功するためのポイントです。
自身の「幸福」と「社会貢献」の両方を併用できる者こそ本当の意味で「むいている」と言えるのではないでしょうか。

(補足)2020910
ここまで記事を読んで頂き、ありがとうございました。自分で読み返してみると、めちゃくちゃな文章です。すいません…。そんなわけで、まとめの後のさらにまとめです。
えーと、能力が高い(賢い)人間は官僚主義的な組織構造には馴染めずに嫌われます。何故なら凡人から見て賢い人間は自己中心的な行動をとってるように感じるからです。なので、凡人は賢い人間の行為を抑制しようとします。ところで、賢い人間と凡人どちらの比率が多いでしょうか?当然凡人の方が数が多いです。賢いと位置付けられた段階で普通(凡人)とは異なった少数派に与したことは明白です。そんな少数派の賢い人々を多数派である凡人達が嫌う構造は歴史からも分かります。
また、賢い人間は自身の有能さから能力を発揮してしまいます。つまりは、意見を述べる行為です。残念ながら世の中では、意見を述べると嫌われます。人間社会では、意見の相違が敵だと認識されます。物事に関してYESと発言すればNOと考える人間を敵に回します。反対もまた同様です。ですから、意見を述べたり、なにかしらのアクションをする人間は嫌われるのです。
賢い人間は能力が高い故に有能さを隠しきれません。自覚の有無に関係なく出来ることはやりたくなってしまうのが人間です。ゲームで例えましょう。あなたはFPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)のゲームをプレイしています。そこで、敵プレイヤーを発見して銃撃することによってKILLしました。では、あなたはなぜそのプレイヤーを銃撃したのでしょうか?
答えは銃撃することが出来たからです。もし、敵プレイヤーがこちらの存在に気づき射撃を加えていたら、あなたは銃撃しないはずです。ですが、相手を銃撃によってKILLできる状況であれば反射的に敵プレイヤーに攻撃を加えます。このように、出来ることには手を出したくなってしまうのが人間です。ですから、賢い人間はつい発言や行動をしてしまうのです。
では、賢い人間の発言や行動はどのような影響を与えるのでしょうか?
…質問を変えましょう
賢い人間と凡人、両者の発言と行動にはどちらに益があるでしょうか?
当たり前ですが、賢い人間の発言や行動に益が多いことは明白です。
警察組織においても、賢い人間が公務に従事することで公共の利益の向上をはかれます。つまり、本来の趣旨(サービス提供の主体である国民)から求められる人材としては、賢い人間が警察官にむいているのです。ですが、統制や機能面で賢い人間を扱うだけのノウハウを持ち合わせていないことから警察組織では凡人を重宝します。これが警察官になれる人材です。
もっと分かりやすい説明します。
義務教育過程の学校を思い浮かべてください。一つの教室にたくさんの生徒がいます。生徒たちのほとんどは先生の指示に従っています。さて、生徒たちを統率できる条件とはなんでしょうか?
α)知識や知能です。
生徒の知識や知能が学校の先生よりも劣っているが故に統率ができているのです。
生徒たちは社会に出ていないがために、生き方の全てを学校という場所に委ねています。何故ならそれ以外の知識(生きた方 人生観)を持ち合わせていないからです。学校の先生の言うことに従い勉強をする、そして卒業、就職、進学する。これ以外は分からないのです。不明確なことに関しては不安感すら抱きます。ですから、学校というシステム構造が正解と見做し先生の指示に従うのです。
ここで、教室の生徒を大人に入れ替えてみましょう。さて、教室に集められた大人たちは先生の指示に従って、統率のとれた集団となるのでしょうか。
α)きっとならないでしょう。
何故なら、大人たちは知識を得たからです。学校を卒業して社会人となり、義務教育の在り方に疑問を持つ者もいれば、義務教育の正当性を主張する者も現れます。また、成功した者、失敗した者、様々な生き方や、成功の形があります。多種多様な人生を歩んできた大人たちを一つの固定観念(学校教育)で縛り付けて統率を試みようとしても失敗するに決まっています。ここで、学校の先生が「学校で勉学に励み、就職することが生き方の全てである」と声高々に吹聴しても、他の生き方を既に知っている(知識)大人には響きません。
このように、人間を統率するためには個々の知識が邪魔となります。知識と知能の連座性はありませんが、知能が高ければ必然的に他者が知り得ない知識を有している可能性は大いに考えられます。ですから、組織の統率に力を入れている警察では賢い人間(知能が高い)は嫌われるのです。
ですが、賢い人間であっても、時間の経過によって実績と功績が認められて徐々に評価されていくのではないかと考えます。
関連)・新卒採用がある理由

コメント

タイトルとURLをコピーしました