警察学校に入校すると第一線の警察署で勤務するために必要な技能や知識を身に付けることを目的として六ヶ月または十ヶ月の研修を全寮制の環境から受けます。そこでは、集団生活のため人間関係が重要となり、本記事では警察学校で「嫌われない」ため「無事に卒業する」ため、「しないほうがいいこと」を解説します。
秘密を話す
警察学校で同期を信用して自分の秘密を話してしまう。
絶対にNGです。
まず、著者が伝えたいことは「同期は信用するな」ということです。
警察学校で秘密がバレてしまう理由の9割以上は人伝によるものです。
警察学校に入校して間もない期間は人間関係を築くために自分の内面を曝け出して互いに信頼を得ようとします。
自分の弱みをあえて他人に見せる(秘密の共有)ことは人間関係を築く上での鉄則です。
しかし、警察学校では他人と秘密を共有することは弱点を作ることでもあります。
警察学校の同期は仲間であると同時にライバルでもあるのです。
さらに、六ヶ月や十ヶ月の長い期間で人間関係が拗れることも往々にしてあります。
他にも、警察学校では教官や助教の命令は絶対ですから、緊迫した状況では同期の絆より教官や助教を優先することは明白です。
ここからは、著者の経験を交えて警察学校の生活で秘密を話したことにより助教や教官に発覚してしまった事例を紹介します。
〇 実は申告していないけど彼女または彼氏がいるんだよね。
〇 スマホから消去するように言われているけどLINEやツイッターをしているんだよね。
〇 実は禁止されているイヤホン(禁製品)を持ち込んでるんだよね。
〇 外出や外泊で指定場所以外に出掛けて彼女また彼氏と遊んだんだよね。
これらの秘密を同期に話したことで裏切られた事例を数多く見てきました。
警察学校で校則違反が発覚する理由の大半は人の耳に入ることです。
なので、禁止事項も誰かに話さなければバレることはないのです。
けども、閉鎖された環境から楽しさが制限されてしまう警察学校での生活はコミニケーションが一種の娯楽となります。そのため、他人に秘密を話したくなる気持ちは理解できますが我慢するべきでしょう。
自分にとって娯楽に感じることは、相手も娯楽になり得るのです。自分が秘密を同期に話したと仮定して、その秘密を聞いた人物は他人との会話でも「ここだけの話なんだけど、〇〇君はLINEをしてるんだよね」と第三者に対する秘密の共有に利用されます。
警察官あるあるなのですが、秘密は直ぐに広まります。警察官は何故だか噂話や秘密話のたぐいには目がないのです。
ですから、警察学校の生活で同期に自分のことを赤裸々に語ることは勧めません。
謝罪をしてはならない
警察学校では晒し上げイベントがあります。
これは、何か問題を起こした場合に責任を取る人物を決める状況です。
明らかにその人物に非がある問題では必要な謝罪と責任を取るべきでしょう。
けども、警察学校では責任の所在が曖昧な状況が多々あります。
その事例を挙げるとすれば、試験の成績が教場(クラス)全体で低い場合に誰が責任を取るかの問題です。
本来は、試験の成績が悪い本人に責任がありますが、警察学校には、それぞれ係があることから試験であれば授業係などの監督責任、さらには居室が近い人物が面倒を見ていないことなど、責任の擦り合いが行われます。
教官や助教が試験の結果に激怒したことで教場(教室)から退出した状況で誰が教官室に謝りに行くかなど、責任者の役割は重要です。
そこで、少しでも「私も悪いけど」など責任の一部でも認めてしまうと教場(クラス)の雰囲気として「なら、お前が〇〇しろよ」と仕事や不利益を被ることを押し付けられるのです。
なので、警察学校では優しさや議論の折衷案として少しでも妥協すると責任の全てを押し付けられることになります。
他にも、規則違反を指摘された状況で犯人が自分でなくとも明確に違う旨を断言しなければ責任を取らされる状況があります。
その事例を紹介すると、ゴミの分別において不燃ゴミから缶が見つかり、その犯人は教官室に出頭するように促されている状況で、不燃ゴミに缶を入れた人物が名乗りでない場合に犯人探しが行われます。
そこで、その犯人ではなくとも「その日に〇〇君が缶を購入しているのを見ました」など、そんな曖昧な会話から犯人を捏造されるのです。
これら状況において、少しでも妥協すると「とりあえず〇〇君が謝罪にいきなよ」と、責任を押し付けられるので「絶対に犯人ではない」とする姿勢を崩してはなりません。
さらに、教官や助教から指導された内容とは異なる別件において、その問題と近縁する状況であれば無関係の行為においても責任を取らされる可能性があります。
上記の事例を挙げると、不燃ゴミに缶は捨ててなくとも以前に可燃ゴミとしてペットボトルを捨てたなど、議論されている問題に類似する行為の過失から本件の責任の所在を推定される場合があります。
犯人が見つからない状況において「以前〇〇君は似たようなことをしたのだから、今回の犯人が〇〇君でなくても以前の行為を謝罪してきなよ」など問題を棚上げにして教官や助教の怒りの矛先を有耶無耶にしようとする光景は多々ありました。
このような状況で「自分も確かに悪いけど」など、謝罪の意向を見せると袋叩きに遭いますので注意が必要です。
自治係を敵にしてはならない
警察学校には、それぞれ係があります。
一般的な学校に存在する「体育係」や「掃除係」等と役割は変わりません。
警察学校に入校すると、担当する教官や助教が警察学校の学生に係当番を割り振ります。
そこに「自治係」と呼ばれる役職が存在するのですが、これは一般人な学校での「風紀委員」を指します。
その仕事内容は、携帯電話機の回収や休日の外出外泊の管理、さらに、学生の素行を教官に報告する仕事です。
ここで、自治係が警察学校の学生から恐れられている理由は同期である学生の素行を教官に報告する仕事内容が含まれているからです。
自治係は自治ノートと呼ばれる用紙に学生の生活態度を記載して教官に提出しなければなりません。警察学校の学生はこの自治ノートを通称デスノートと呼んでいます。
自治係が作成した自治ノートは教官が目を通して、指導が必要であると判断された場合、または、教場の雰囲気を締め付ける目的の見せしめとして、その情報を元に学生を教官室に呼び出します。
なので、警察学校の学生は自治ノートの存在に怯えながら日々の生活を送るのです。
そこで、問題が生じます。
自治係が私利私欲を満たすことを目的として自治ノートを利用している場合です。
残念ながら自治係の権力は警察学校では教官や助教の次に大きいものです。
さらに、警察学校での係役割の任命は入校後直ぐに人柄が分からない状態で教官や助教により決められますので「なんでこんな人物が自治係なんだよ」なんてことも往々にしてあります。
自治係を任命された学生の中には、自分を慕う仲間の規律違反は黙認して、苦手な同期の規律違反のみ報告する権限を濫用する人物が存在します。
ですので、自治係に嫌われると警察学校での生活は苦しいものになるでしょう。
警察学校に入校してから、自治係に任命された学生には媚を売ることを勧めます。
嘘をついてはならない
警察学校では、嘘に対する処分が重いです。
著者の意見として、嘘が発覚しなければ嘘も方便であると考えています。
しかし、明らかに発覚するような嘘や言い逃れができない状況での更なる嘘は火に油を注ぐ結果を招きます。
警察学校が嘘に厳しい理由は、警察官の職務を遂行する上で虚偽の申告や書類の偽造が場合により犯罪行為として処分されるからです。
さらに、この「嘘を付く」意味とは規則違反を隠すなどマイナスに関する事柄に限定されるものではありません。
警察学校では教官や助教から課題を科さられます。試験や検定で〇〇点を取ることなど、これら与えられた課題を熟すことは約束を果たす意味でもあるので、その課題が達成できなければ嘘を付いたとして指導を受けます。
そのため、明らかに有言実行が難しい課題に関してはその旨を伝えることが重要です。
しかし、警察学校で教官や助教の指示に対して「できません」等の返答をすれば厳しい指導が待っているでしょう。
なので、教官や助教から妥協策を引き出すための処世術を身に付けることも大切です。
積極的に動いてはならない
警察学校に入校すると積極性を評価する旨の教養を受けます。
しかし、警察学校では積極的に動いた人物から怒られる仕組みです。
それもそのはず。
何もしなければ失敗もしないので怒られることもないからです。
さらに、警察学校に入校してから早期の段階で係等の役職が決められる関係から、教官や助教は優秀であると見込まれる人物を教場から選定します。
その判断材料として積極性が評価されるのですが、限られた期間から、それぞれの役職の適任者を探すことは不可能であるため自然と積極的に動いている人物を重要な役職(負担が大きな仕事)に就けるのです。
警察学校に限らず公務員はインセンティブが適用される範囲が少ないことは明白です。
なので、同一である賃金を支給されながら仕事内容に偏りがあることは不平等であると言えます。
優秀であるほどに仕事を任されるので、結果として多くの労力を消費するが、給料は変わらないのが公務員です。
警察学校では、任命される係の役職により科せられる負担に大きな違いがあります。
警察学校での生活を通して、ほとんど仕事がない係もあれば、毎日のように仕事を科せられる係もあるのです。
そこで、警察学校に入校してから間もない段階で、積極的な行動から教官や助教に評価されると、重責を伴う役職を押し付けられる可能性があるのです。
もちろん、警察学校での生活において、その努力が後々評価される場面も多くあります。
けども、著者個人の見解として、その代償が費やしてきた労力に見合うとは思えません。
物を盗んでしまう
警察学校で絶対にしてはならないことは窃盗です。
警察学校は、学校とは名ばかりの環境です。
なので、学生気分が抜けずにいると大きな後悔します。
「物を盗んではならない」これだけを聞くと「当たり前では」と感じるでしょう。
しかし、実際は警察学校では毎年一人は窃盗による処分で退職しています。厳密には、処分ではなく自主退職ですが。
そもそも、なぜ窃盗による処分が多いのでしょうか。
その理由は二つです。
まず、追い詰められた境遇から物品を盗んでしまう状況です。
警察学校では些細なミスでも厳しい指導がなされます。
それを回避するために、目先の利益を優先して物を盗むのです。
その事例を挙げると、訓練で使用する防具を居室に忘れてしまい、取りに戻ると遅刻してしまう状況で付近に置いてある他人の防具を使用したなどです。
二つ目は些細な窃盗です。
警察官は一般人よりも厳格な規範意識が求められます。
なので「こんなことで」と感じる場面でも窃盗として処分されるのです。
その事例を挙げると、隣の座席に置いてある筆記用具を無駄で使用したなどです。このような行為は一般的な社会や学校であれば日常的な光景であると言えるのですが、警察学校では絶対にNGな行為です。
警察学校で物を盗むとどうなるのでしょうか。
答えは、クビになります。
警察学校で物を盗むと怒られることはありません。
その理由は、怒ることが警察学校のカリキュラムだからです。
警察学校の生活で物を盗むと「一発でクビ」になります。
なので、警察官を退職する人物に対して警察学校のカリキュラムを適用する意味はありません。
どんな状況でも、物を盗むことだけはやめましょう。
教官の言うことを信じてしまう
「怒らないから話してみて」
これ、馬鹿正直に話してしまう学生が多く存在します。
警察学校に入校すると規律違反や禁止事項に抵触していないかを確認するために面談やホームルームを通して教官や助教が学生に様々な内容を聴取します。
そこで、正直に話すように促されるのですが、それに白状した結果は悲惨なものです。
著者の個人的な見解なのですが、警察学校で科せられる規律の違反は誰かに話さなければ大抵は発覚しないものです。
他にも警察学校ではしてはならないことがあります。
それは匿名だからと言われることです。
警察学校では何度か匿名で何かを解答する行事がありました。
具体的な事例を紹介すると、匿名でのアンケートなど。
警察学校に関するアンケート、授業に関するアンケート、教官や助教の評価に関するアンケート、これらを正直に解答すると険悪な雰囲気になります。
匿名と言いながらも不適切な解答をすると犯人探しが行われますので要注意です。
同期と打ち解けない
警察学校は外界から遮断された閉鎖的な環境です。
その環境での娯楽は制限されていることから、警察学校の同期とのコミュニケーションが生活での息抜きとなります。
そこで、警察学校の同期から嫌われると日々の生活に支障が生じます。
もちろん、警察学校と言えども「いじめ」など人間関係上のトラブルは存在します。
その不利益を被る人物は同期とのコミュニケーションが不甲斐ないことからターゲットにされるのです。
警察学校では、何をするにしても他人の影響を受けます。
なので、警察学校では同期とのコミュニケーションが乏しい人物や教場に貢献できない人物は全体の評価を下げるためコミュニティから疎外される対象となるのです。さらに、同期との関係性が未成熟であることで、とある事柄に対して責任を負わされたり、嫌疑を掛けられたりするなど、これら場面で誰も庇うことはしません。
本記事(詳細)でも触れていますが、警察学校では責任の押し付け合いが発生する状況が多々あります。
そこで同期との信頼関係が構築されている人物であれば、見捨てられずにその責任から免除されるのです。
ですが、警察学校の生活において教場から不必要であると判断されると孤立します。
すると、その対象となる人物は「教場でこの人物なら攻撃しても良い」と認識されてしまうのです。
警察学校を無事に卒業するためには、教場の運営において「この人物の存在は必要である」ことを周知させることが重要でしょう。
その手段として、同期とのコミュニケーションを円滑に行うことが求められています。
集団生活に求められる常識から外れてしまう
警察学校では集団生活から警察官として必要な精神力や技能を育みます。
そこでは、集団生活ならではの掟が存在します。
その具体的な事例を紹介すると、訓練や授業に対して手を抜くことです。
著者は、これが原因で警察学校の同期からは嫌われていました。
厳しい訓練や授業を休むと他の同期と溝が生まれます。
お前は俺達と同じ苦労をしてないだろ。
仲間意識が強い環境では、その通過儀礼として同じ環境で切磋琢磨する過程を踏襲しなければならないようです。
なので、その過程を踏襲していない場合には仲間として見られず排斥されてしまいます。
著者の個人的な見解を述べると、他人の努力や労力の有無が自己の行動原理に影響を及ぼしている段階では、その程度の意思であると感じられてしまうのですが間違いなのでしょうか。
著者は、警察学校で同期に「お前がいると全体のモチベーションが下がる」と非難されてきました。
そこで「私の行動が君たちに影響が及んでいる状態が謎である」と反論をしていたのですが、どうして個人が努力することに対して無関係な他人が同じ努力をすることで気持ちが高揚するのか疑問です。
物事に対して何かをする場合に主体となるのは自分です。そこに他人はいません。
少なからず著者はそうです。
「自分がやりたいからする」これは努力に関する考え方も同様で「努力をする主体が自分である」以上は他人による干渉を気にするべきではありません。
著者は様々な業界の人間と接する機会がありますが、経済的な成功を収めている人物は他人がなんと示唆しようとも自己を推し進める気概がありました。
もしも、自己に定める軸が明確である場合には、それに生じる努力も他人の干渉に怯むことなく徹することができるはずです。
恐らく、著者の行動により自己のモチベーションが下がると非難した人物の気概とはその程度であり、他人による干渉を敏感に気にしながら人生を歩んでいる「空気を読むこと」に長けた人物なのでしょう。
著者の考え方としては、努力は削減されることに長所があると考えます。
努力とは労力なのですから、これを削減することにより他に割ける労力が増えます。労力とは労働力の略語であるため、それが増えることで経済的な自立を促進します。
なので、警察学校の生活においても、教場全体で努力をすることに方向性を定めるよりも、如何にして全体の負担を抑えて心身ともに充実させるか、この議論に経済的な意義を感じます。
このように著者的な思考を抱いてしまう人物は警察学校では浮いてしまいます。
集団生活では、その属するコミニティに不利益な存在は排斥されてしまいます。
警察学校でも、無能の烙印を押された人物は排除されるのです。
時にはいじめの対象になることも。
著者は、警察学校では勉強も運動もできませんでしたから、教場から除け者扱いされていました。
そんな著者から言えることは、何かしら警察学校で活かせる得意分野を持っていることが警察学校を無事に卒業するためのノウハウです。
警察学校の生活は不平等の連続でした。
教場に貢献している学生の行動は自治係も黙認していましたし、教官や助教も必要な学生を潰すわけにはいきませんから大目に見ます。
自分達に必要な人物に対しては周囲は甘やかし、不要な人物は必要な犠牲として生贄にされる、それが警察学校です。
なにも、これは警察学校に限らず自然の原理なのですから仕方がありません。
そのため、警察学校で全ての分野において無能になることは避けた方が良いでしょう。
コメント