「いじめ」の構造と被害者の対応要領 なぜ人間社会はいじめを許容するのか

義務教育(高等教育)

イジメの解決方法・対処法

イジメへの対処方法は主に二つです
今回は①反撃についてを説明します

①反撃[既存の生活を維持する]
②逃避
[転校又は不登校]

イジメは自分で解決するしかありません。
学校の教員や教育システムは貴方を守りません。
なぜなら、学校制度は「イジメ」の存在をシステムとして組み込んでいるからです。
「みんな」の価値観を集約することで「適応」できない人物が「イジメ」られることは必然だと言えます。
ですが、「みんな」を「規格化」する教育システムは、その「メリット」を享受するために「イジメ」を容認しています。
「最大多数の最大幸福」が示す様に、少数者の存在は多数者の「利益」に埋もれるのです。
そのため「環境」が、あなたを救うことは絶対にありせん。
さらに、「イジメ」られる人物は「イジメ」やすいから「イジメ」られるのです。
それが「イジメ」の重大な問題だと言えます。
転校などの処置から「環境」を変えても「イジメ」は無くなりません。
なぜなら、「イジメ」は教育のシステムに含まれているからです。
ですから、義務教育では学校の環境に大きな違いはありません。
環境を変えようにも、変えるべき環境などは存在しないのです。
「イジメ」られる人物は、生涯において「イジメられる」役割から抜け出すことは難しいのです。
ならば、どのようにして「イジメ」に対処するべきなのでしょうか。
前提として「イジメ」は「楽しい」から存在します。
つまり「イジメ」を実行する加害者に「楽しい」と思われなければ「イジメ」られません。
「イジメ」ることによる「リスク」が、「イジメ」る「楽しさ」を上回れば良いのです。
我々は肉を食べます。
人間は肉を食さなくとも生存は可能です。
しかし、他の動物の生命を奪ってまで肉を食べるのです。
理由は「美味しい」からです。
このように、人間は自身の感情を満たすためだけに動物を殺します。
もしも「美味しい」(感情)を満たすために「リスク」が生じるのであればどうでしょう。
本気で動物が抵抗したら?
もちろん、動物の知性では人間に逆らう意識すら芽生えないでしょう。
しかし、動物が武器を持ち人間を殺しながら「我々を食べるな」と抵抗したのであれば、人間は動物を食べることに躊躇します。
「イジメ」の構造も同じです。
「楽しい」を満たすために「ノーリスクノーリターン」である「あなた」を「イジメ」るのです。
「イジメ」に対処するためには、加害者に対して自己を「イジメ」ることには「リスク」があるのだと示す行動が重要でしょう。

読者
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具体的に「リスク」のアピールとは?

「イジメ」の加害者が被害者をイジメて「楽しい」と思わなければ良いのです。
「楽しい」と思わせないためには「リスク」が必要です。
リスクに見合わないイジメは誰もしません。
学校の先生の目の前ではイジメはしませんよね。
怒られるリスクが大きいからです。
「イジメ」に対処するための「リスク」とは反撃です。
残念ながら、「力」には「力」で対抗するしかありません。
核抑止では「核を撃たれたら確実に撃ち返す」(METALGEARから引用)このように、確約された報復が均衡を保ちます。
「イジメ」の対処も同じです。
まず、暴力に対する対処について触れます。
暴力を振るう相手は喧嘩が強いのですから、同じ暴力では勝てません。
しかし「力」には「力」で対処する原則を忘れてはなりません。
暴力に対する対処、最も簡単です。
「イジメ」の加害者が目の前にいる状態で携帯を取り出します。
その場で「1」「0」「0」と魔法の番号を携帯に入力しましょう。
これで、次の日から暴力的なイジメは無くなります。
加害者から「ヤバイやつ」だと認識されること、自己よりも強い相手(警察)と対峙しなければならない「リスク」、その両方が加害者には科せられます。
「力」には「警察」の「力」で解決しましょう。
子供たちは世の中について知りません。
ですから、警察に通報する敷居が高いと思い込んでいる傾向があります。
しかし、大人になれば分かります。
警察や消防に通報するハードルは案外と低いものです。
暴力は「イジメ」ではありません。
犯罪です。
速やかに通報しましょう。
可能な限り「その場」で。
さらに、暴力被害については証拠保全に努めて下さい。殴られたアザなどは直ぐに回復することから写真等で状態を確認できるようにしましょう。
また、警察官として務めた経験がある著者からのアドバイスとして、傷害の被害場所は学校施設内ではなく学校外の暴力行為を捜査機関に申告することを勧めます。
犯罪の被害を立証するためには現場検証が必要であり、捜査機関が学校施設に立ち入ることを学校や警察が躊躇することがあるため、被害場所が学校外であれば比較して円滑に捜査が進展します
次に「陰湿」な「イジメ」の対処です。
陰湿なイジメは「加害者」を見つけ出すことは困難です。
例えば「物」を盗まれたとしましょう。
そしたら、絶対に探さないで下さい。
日常生活や授業で使用する「物」であれば「無いこと」による異変を環境が察知します。環境はあなたを助けませんが、全体の進行(授業など)が妨げられるようならば周囲はあなたを助けます。
必要な「物」が紛失したのであれば、無いことを理由に全体の進行に影響を及ぼすものです。
他にも私物が「荒らされる」ような「イジメ」もあります。
これも、自分では絶対に「直さない」ようにしましょう。
机や椅子が荒らされた又は隠された、荷物をひっくり返された、絶対にそのままです。
このような、明らかな「イジメ」の状態はむしろチャンスです。
椅子が無いなら立ちましょう。
荷物が散らばっているのならば拾わずにいましょう。
必ず「誰か」が直してくれます。
教室に先生が入室するタイミングで、明らかなイジメの現場が発見されたのであれば対応を余儀なくされます。
ですから、イジメの加害者は被害者に「直して」もらうことを前提に行為を実行しているのです。
でなければ、学校の先生にバレることを想定してることになります。それでは「リスク」が大き過ぎます。
「イジメ」の加害者が、隠した椅子を元に戻さなくても良いのです。
自分とは異なる誰かが椅子を戻すことが重要になります。
もしも、イジメの現場(椅子がない)を教職員が目撃すると、教室の雰囲気が険悪になりますから、イジメを悪ふざけとして認識しているクラスメイトであっても椅子を戻すのです。
そうすると、椅子を戻す役割の誰かは思うでしょう。
「めんどくさいから隠すなよ」と。
これらのハラハラが毎日発生するのであれば、クラス全体の意向として「あいつの椅子を隠すな」とする風潮が強まります。
そうなると、イジメの加害者を排斥(厄介者扱い)する動きが生まれるのです。
「あいつが椅子を隠さなければ良くね」このように。
これが、「イジメ」の加害者にとって「リスク」となります。
「イジメ」は「ノーリスク」だから標的にされるのです。
直接的なイジメや陰湿なイジメを問わず「めんどくさい」ような人物は「イジメ」られません。
得策とは言えませんが、教員等の大人がいる環境で「大暴れ」することも一つの手です。
これまでは対症療法について触れました。
しかし、「イジメ」られないための「対策」も重要であると言えます。
「イジメ」は「リスク」の存在で減少します。
ならば、「リスク」を高めれば良いのです。
人間は動物を食べます。
動物は人間に食べられます。
何故でしょう。
それは、動物が人間よりも弱いからです。
「イジメ」も変わりません。
「弱い」から「イジメ」られるのです。
特に子供(男の子)は「喧嘩の強さ」にコンプレックスを抱いています。
ですから、喧嘩が強い人物のヒエラルキーは高いのです。
そして、喧嘩が強ければ「反撃」される「リスク」から「イジメ」ません。
ですから、「イジメ」の「事前対策」には「武道や格闘技」を習うことが一番です。

著者
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ここでイジメの被害者がしてはならないことを説明します。

それは、いじめっ子と交渉しようとする行為です。
交渉とは対等な関係の者同士でしか成立しません。いじめっ子は被害者を獲物としか見ていないでしょう。ですから、いじめっ子とは交渉してはいけません。
そもそも、ここで示す交渉とは何を意味するのか。
イジメにおける交渉とは、自分をイジメることによるリスクを相手に明示する行為を言います。例えば「僕をイジメたら先生に言うぞ、だから僕をイジメることは非合理的なんだ」このように。
イジメの被害者はイジメられないために頭を使います。イジメられる理由を分析してその構造を理屈として整理するのです。「いじめっ子が僕をイジメる理由は匂いが臭いからだ」ならば「匂いを改善する変わりにイジメないで、もし匂いを改善してもイジメるのならば先生に相談するよ」などの交渉です。いじめっ子に匂いを改善するとの利益を提示して、自己もイジメられない状況である「win win」な合理的条件を模索しようと頭を働かせるのです。
ですが、これらの交渉はイジメの対応としては無意味です。
交渉をしてもいじめっ子は感情的に逆上する若しくは提示されるリスクを合理的に比較考量することができません。これらは、いじめっ子のプライドが高く感情を制御できないのか、はたまた頭が悪く最善の選択(合理的)ができないのか、真相は不明ですが彼らと交渉しても良いことはありません。
そのため、いじめっ子にイジメのリスクを理解させるためには、交渉を通じた警告(リスクを提示)ではなく直接的な報復(実際に痛みを経験しなければ学習できない)のみが効果的であると言えるのです。

報復の倫理的な問題

イジメに対抗する唯一の手段は反撃することです。いじめる行為にはリスクがあるのだと認識してもらうためには、そのリスクを体感する他はありません。
自衛のための武器は使用してこそ抑止力となります。全く同じ原理です。
ここでの倫理的な問題は「イジメっ子を反撃との大義名分でイジメても良いか」です。
リスクの提示とは、相手の「嫌がる」感情を利用することで自己を守ることを示します。たとえ、学校や捜査機関に頼るなど正しい手段でいじめっ子に反撃したとしても、その本質は変わりません。
「負の感情」を用いて相手をコントロールする行為は友好的なコミニケーションとは言えないからです。
また、理由を付けて相手に危害を加える行為は、イジメにおける「理由付け」の一環であり負の連鎖に繋がる状況も示唆されます。
ならば、イジメにおいて反撃することは許されないのでしょうか。
私は、そうは思いません。
もともと、人間以外の動物は弱肉強食の世界を生きています。
いつから、人間だけが例外であると見做されたのでしょうか。
自分を守るために他人を犠牲にすることは、人間とて動物である以上は仕方がないことです。現在の世の中は犠牲になる人々の全体数を減らすことによりバランスを維持しています。ですから、人間社会といえど完璧な共存共栄の仕組みは確立されていません。
いま、あなたがイジメられているのだとすれば、それは人間が社会を維持(バランス)するための犠牲です。その犠牲はどう足掻いてもゼロには出来ないのですから、まずは理想論から離れて自身だけが助かる方法を模索しましょう。

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